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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

在宅鑑賞日記 ⑥ 配信スルー映画を見て考えるジャンル論

某日 いつの間にか配信スルーになっていた『BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』(2023年)を見た。嵐の夜に20代の若者たちが"Bodies Bodies Bodies"(bodyは死体の意)というゲームを行っていたら、本当に死人が出てしまう、という映画で、いわゆるwhodunit(誰が殺したのかという犯人捜しが中核にある映画)の系列にある。密室で凄惨な死を迎える人が増えていく、という意味ではスラッシャーものらしさもある。その一方、この映画を風刺ものとして見る評論もあったが、まさしくその通りだと思った。

 (以下ネタバレ要素あり)要するに、この映画は社会階層的に中の上以上のZ世代の友人たちが、徐々に互いへの不満を吐露していく会話劇で、小難しい分析用語をなじりあうために多用していく様はとてもダークなユーモアに満ちている。視点人物は友人グループの恋人(『続・ボラット』で強烈な印象を残したマリア・バカローヴァ)だ。そのため、ある程度このグループの持つ関係性のまずさや、若さゆえの暴走ぶりが分かる構造になっている。

 そしてその会話劇と同時に進行するのが犯人捜しな訳だが、真相は(犠牲者を含む)皆が想像しているようなものではない。ここではスラッシャーものに欠かせない怪物のような連続殺人鬼もいなければ、高度な推理を必要とする難解なトリックもない。そのような深読みを無効化してしまうようなオチは人を選ぶのかもしれないが、自分は大いに楽しませてもらった。