最近映画についての映画が多い、というのは既に言われていることなのだが、脚本も兼任している監督たちが話し合って決めたことではないので、当然各々の作品における映画の扱い方も微妙に異なってくる。サム・メンデス監督の『エンパイア・オブ・ライト』の場合、映画よりもそれを上映する映画館に重きが置かれている。なにせ、タイトルは舞台となる映画館「エンパイア劇場」から来ている。
メンタルヘルスの問題を抱える中年白人女性ヒラリー(オリビア・コールマン)と、激化する人種差別に遭う若い黒人男性スティーブン(マイケル・ウォード)とのロマンスを主に描くこの映画は描いているテーマが割と「渋滞」していて、上手くいっていないところがあるのは重々分かるが、なかなか美しく撮られた映画ではあり、鑑賞後の余韻も決して悪くない。マイケル・ウォードや、映写技師ノーマン役のトビー・ジョーンズの演技はとても良い。
映画は、肉眼が暗闇を認識できていないからこそ成立する、視覚的幻想なのだという趣旨の話をノーマンがスティーブンにするのだが、ほとんど同じことが『エンドロールのつづき』でもあった(... と思っていたら、『フェイブルマンズ』でも同じことを言っている!という指摘を米Vulture誌の記事で読んだ。このことについてはまた次回詳述する)。
この映画を見ていてまず連想したのが、ジョン・カサヴェテス監督『こわれゆく女』(1974年)で、精神病院の入退院を繰り返すジーナ・ローランズの演技だった。とはいえど、つい最近の映画『帰らない日曜日』(2021年)でも、息子を失い心を閉ざしてしまった女性を演じていて、しかも夫役を演じたのがコリン・ファースで、『エンパイア・オブ・ライト』で再び共演している。『帰らない日曜日』のコリン・ファースと比べると、本作で彼が演じる映画館の支配人は本当に人間として成っていないし、そんな彼に従属的な関係性を強いられることがコールマン演じるヒラリーの精神状態を再び悪化させていったのがよく分かる。
今回のコールマンの演技は当然素晴らしかったと思うが、やはりもう少し違うタイプの役として見たいという気持ちはあって、それは例えば『ロスト・ドーター』(2021年)でバカンス中に、ふと過去の記憶を向き合うことになる大学教授役であったり*1、ドラマの『ハートストッパー』(2022年)で、自らのセクシュアリティに悩む高校生男子を最終的に優しく受け入れる母親役*2などがすぐに思い浮かぶ。ただ、そのようなシリアスな役だけでなく、その職場において唯一の女性で、下ネタしか言わない警察官ドリス・サッチャーを『ホット・ファズ』で演じたことは未だに忘れられない。その辺の喜劇俳優としてのエッセンスは声優を務めるアニメ映画の方でまだ生かされているのだろう。