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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

『ゴジラvsコング』: つくられた二項対立

(ネタバレあり)
 Godzilla vs. Kong Trailer Promises Epic Final Battle ...
 言わずと知れたゴジラキングコングという「知的財産」(intellectual property, IP)が直接対決するモンスターバース完結作である、が・・・・?
 
迫力たっぷりのアクション
 四の五の言う前にまず確認しておきたいのだが、これは怪獣映画なのであって、子供が見に行くのにふさわしい類のものである。アメコミ原作の映画が興行収入のトップをほぼ確実に飾る今日だからこそ、我々は観客として自分たちに繰り返し言い聞かせないといけないこととは、「これは本来子供向けのコンテンツなのだ」ということだ。だからと言って、そういった映画が芸術になり得ないと言っている訳ではないし、クオリティの高いものを期待できないということでは決してない(そうだとすればそれは子供及び映画製作者にとって失礼極まりないことだ)。
 要するに、やはり本作は怪獣映画なのだから、ちゃんと巨大なkaijuが派手に取っ組み合いしてもらわないといけないのだ。それがともかく第一だ。本作はそういった映像的な期待にきちんと応えてくれた作品だと思う。怪獣同士のバトルを言葉で説明するほど野暮なことはないが、予告編でもあった戦艦上でキングコングが煌々とした陽をバックに渾身のファースト・パンチをゴジラに食らわせるシーンや、ネオンに彩られた無数の高層ビルに囲まれた中、所狭しと両者が戦う様は圧巻であった。カメラワークもなかなかあの手この手を使って飽きさせないような作りになっていたと思う。散々期待させておいたあげく、アクションシーンが短すぎて愕然とするようなことはなかった。ただし、本作の中盤から近年の「VS映画」にありがちな問題がここでも浮彫りになる。
 
「つくられた二項対立」
 本作の最大のネタバレ要素は「ゴジラとコング、どちらが勝つ?」という結論部分だと思うのだが、実はこの二項対立に隠された秘密もかなりのネタバレ要素であった。そもそも冒頭から明言されていたように、ゴジラが突如(ごく一部の)人間たちを襲い始めることにはそれなりの理由が必要であった。そして、その理由とは人間の驕りであった。つまり、「メカゴジラ」を作ってしまったことである。これは、「ゴジラ対コング」というタイトルマッチに、余計な第三者が介入してしまったことを意味する*1
 これこそが、「VS映画」の抱えがちな問題である。『バットマン vs. スーパーマン』や『キャプテン・アメリカ シビル・ウォー』もそうだったが、「正義の味方」である者同士が突如真剣に戦うというストーリーを映画にする際、なぜか作り手は最終的に「黒幕が両者を対立させた」という話に落とし込もうとしてきた。「VS映画」は、結局は否定されてしまう「陰謀論」などではなく、ほぼ全てを本当の「陰謀」のせいにしてきたのだ。
 今回も例に漏れず、「ゴジラとコング」という二項対立はあくまでも文字通り「人工的なもの」だった、という展開に若干げんなりとしてしまった。もちろん、落としどころとして、ゴジラとコングが力を合わせてメカゴジラを倒す場面はなかなかのものだったし、友情のようなものが芽生えていたのは感動的ですらあった。しかしながら、やはり双方を素直に戦わせてくれないものなのだろうか。なぜ「いい話」にしたがるのであろうか。だったら"one will fall”などと書かないでほしいと思ってしまった*2

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薄くポスターの上部に書いてあるのが見えるだろうか
 
 ちなみに、ブライアン・タイリー・ヘンリー (『アトランタ』『ビール・ストリートの恋人たち』など)やレベッカ・ホール(デビュー監督作『Passing』が早く見たい!)やエイザ・ゴンザレス(『ベイビー・ドライバー』『I Care a Lot』など)を大作の怪獣映画で見ることが出来たのは大変うれしかった。ミリー・ボビー・ブラウン(『ストレンジャー・シングス』はシーズン1しか見ていないが、『エノーラ・ホームズ』は傑作)も前作から続投している。あと、小栗旬も一応出演はしているが、これをファンが見たらどう思うんだろうか。トランス状態に入った彼は、白目をむいたまま帰らぬ人となった訳で、エイペックスの従順なしもべのようにしか見えなかった)

*1:ゴジラに人間が理解できるレベルの合理性を求める必要もないとは思ったが。理解できてしまえばそれはもはやゴジラではない

*2:もちろん、最後はコングの力をゴジラが認めたのだろう。ただ、戦う理由もないのだから、どちらが強いのかという問題はもはや意味をなさなくなってしまっている

*3:「対決もの」として最もシンプルでかつ最も個人的な思い入れが強いのはロン・ハワード監督の『ラッシュ』である。また、「対決もの」としての好例としてドラマ版『ファーゴ』のシーズン1も挙げておきたい。オリジナルの映画に関してあまり良い印象がないのだが、この「小心者VS悪魔」をひたすら描いたシーズン1を見て以来、ドラマ版のファンである。しかし、最新のシーズン4は決して悪くなかったものの、この「小さな悪VS大きな悪」というシーズン1のシンプルな構図だが十分に見ごたえのあるものには未だに出会えていない