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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

ザ・クリエイター/創造者 ベトナム戦争ものをSFで

映画『ザ・クリエイター/創造者』|20世紀スタジオ公式 

 『ザ・クリエイター/創造者』は近未来を舞台とし、AIを敵視する西側諸国(主にアメリカ)と、AIとの共存を標榜するニューアジアとの戦争が続く中、元特殊部隊のジョシュアが本来は暗殺対象であるAI少女を守るべく奮闘するSFアクションである。

 本作がベトナム戦争映画の語り直しということなのは明白である。近年でも例えばスパイク・リーの『ザ・ファイブ・ブラッズ』は本国で差別を受けていながら、ベトナムの人民からすれば抑圧者として見られる黒人男性兵士たちを描いていたが、被害者への贖罪が完遂される訳ではなく、やはりアメリカの人々は人種を問わず「奪う者」という図式から自由でない様が示され、ほろ苦い後味を残した。2021年の『ザ・スーサイド・スクワッド』で、真っ先に想起されるのはもちろん合衆国による南米介入の史実だが、映画のトーンとしてはやはりベトナム戦争映画の代表格である『地獄の黙示録』を彷彿させるものがある。こちらはこちらで、アメリカ政府の施策で生み出された怪獣を主役たちがチームとなって倒すことで政府の面子は守られる。

 もちろんアメリカ側の人間が主人公だと物語はそうならざるをえないのだが、今回の主人公はかつて自分が仕えていた強大な国家に背いてまで少女の命を優先する。そのため、最終的に妥当せねばならないのはアメリカ(の空中母船)であることが明示される。そうなると、今度は展開の必然として東側諸国が西側諸国を完全に打倒する話となり、これはこれでベトナム戦争で起こらなかったファンタジーがこのSFで映画となっていると自分は取った。主人公が行き着く先も彼の大義名分(国家よりも自分の家族こそ希望であり自らの存在意義)に即したものでその点は首尾一貫している。要するに監督のギャレス・エドワーズは、前作(7年前!)の『ローグ・ワン』における反乱軍対帝国軍の構図や主人公のラストの展開を反復している訳だが、既存のフランチャイズに依存しない(予算的にもコンパクトな)一本完結ものをこの時代に作った意義は決して小さくないと思う。

 

 

皮肉たっぷりに描かれるヒットマンの生活『ザ・キラー』

 

 デイビッド・フィンチャー監督の『ザ・キラー』をネットフリックス配信前に劇場で見た。マイケル・ファスベンダー演じる殺し屋がパリでの仕事に失敗したために自分の隠れ家にいたパートナーが襲われてしまう。そのカタをつけるべく彼は世界中を飛び回って問題の根源に迫っていく話だ。至ってシンプルな話だが、恐らく終始格好良くてアクション満載の映画を期待しておかない方が良いと思う。

 この映画がスタイリッシュなのは、これがフィンチャー印の映画なので当然ではあるのだが、主人公が仕事中にザ・スミスの楽曲しか聞かないというところが若干笑えてくるし、その音楽の使い方もジュークボックス的に気持ち良くキリのいいところまでかけてくれる訳ではなく、彼のナレーションが入ったり、カットが切り替わる度にイヤホンや車内から漏れ出る程度の音声に切り替わって、楽曲自体のグルーブには全く乗れない。恐らくこのギクシャクしたところが狙い目なのはよく伝わってくる。

 冒頭の舞台がパリで、しかも原作がバンド・デシネ(フランスのグラフィック・ノベル)と、ここまでフランス要素が連なるとやはり例えばジャン=ピエール・メルヴィルの『サムライ』などを想起してしまう。メルヴィルのクールさを表層的には踏襲していると言えるが、『ザ・キラー』で大変面白いと思ったのが、スタイリッシュさを犠牲にしてまで主人公の「仕事ぶり」を反復的に見せてくるところだ。彼が水を持参の折り畳み式カップで飲んで、シンクをアルコール消毒するところや、飛行機搭乗(彼はファーストクラスには乗らない、名目上はドイツの観光客だから)及び、その後のレンタカーを手配する場面は何度も登場する。

 また、彼が仕事を遂行する上で頼りになるのがジョン・ウィックのような闇組織の巨大ネットワークなどではなく、いかにも21世紀らしいハイテクだが凡庸なサービスであることだ。パリで標的を待ち構えるのは共有ワークスペースのWeWorkの一室だし、外に出て食べるのはマクドナルドだ。別の標的に先回りするために使うのはグーグルマップで、潜入に必要な道具はアマゾンで買ってしまう。彼は一介のサラリーマンでは決してなく、資産は潤沢にあるはずなのだが、それでいてストイックなところがこの映画に(妙な)リアリティを付与させている。

 そして、(ここからはネタバレあり)

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在宅鑑賞日記⑦ ベイビーわるきゅーれ再訪

 

ykondo57.hatenablog.com

某日 『コンセクエンス』のことを思い出しつつ、ネットフリックスで『ベイビーわるきゅーれ』が見られるようになったので、全編を再見した。ジョン・ウィックシリーズでは全く描かれない、ゼニ(のなさ)をちゃんと描いていることを再び実感した。『ベイビーわるきゅーれ2ベイビー』でとにかく主人公たちも敵の兄弟も日本に生きる若者の貧しさから逃れられない様を描いている。映画自体の爽快さやユーモアの下にあるこの要素が今の日本を残念ながらすごく的確に描いているように思えた。その続編の印象からか、1本目でも主人公2人にはお金がないのかと思っていたが、内の一人は、お昼ご飯一食分にコンビニで1000円くらいは使える、プチブルのような人物として描かれていた。しかし、最後には事後処理のために二人の財産がほぼなくなってしまう。一気にこの業界のままならぬところを身を持って二人は実感する。

 このどん詰まり感が続編でも継承されていて、しかも敵もその経済的不安とともに生きる若い兄弟ということで、各国で作られている数ある殺し屋映画の中でも唯一「ゼニ」の問題が本筋に常に関わってくる作品だと言えるかもしれない。

 

2023年9月の3点 (『JW4』『グランツーリスモ』『ミュータント・タートルズ』)

ジョン・ウィック:コンセクエンス』チャド・スタエルスキ監督、アメリ

とにかくナイスガイのキアヌ・リーブス演じる、(やむを得ず)とにかく周りに迷惑ばかりかけてしまうジョン・ウィック。その落とし前を彼なりの形でどうつけるのか、と考えるとある程度納得は行くシリーズだった・・・のか?

ykondo57.hatenablog.com

 

グランツーリスモニール・ブロンカンプ監督、アメリ

丁度往年のカーアクション映画ばかり見ていたときにこの映画に出会えたのは大変ありがたかった。プロット自体がありきたりでも、盛り上がるべきところに盛り上がる画がきちんとスクリーンに映っていることが大事なのだと改めて実感できた。

ykondo57.hatenablog.com

 

ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック』ジェフ・ロウ監督、アメリ

Teenage Mutant Ninja Turtles: Mutant Mayhem

全米公開当初の反応がすごぶる良かったので、大いに期待して鑑賞したのだが、その期待を裏切らない楽しい映画だった。今年は『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』に続き、アメリカの良質なマンガ映画が見られてとても嬉しい。

 

死神ウィックの最終章『ジョン・ウィック:コンセクエンス』

ジョン・ウィック:コンセクエンス』を見た。前作は「パラベラム」、本作は「コンセクエンス」。シリーズ4作目となるこの映画の原題は"John Wick: Chapter 4"なので、"John Wick" "John Wick: Chapter 2" "John Wick: Parabellum" "John Wick: Chapter 4"と毎回タイトルに統一感がないのを邦題は補ったと言えるし、たしかにテーマは「報い」ではあるので言い得て妙なところはある。

 この4作目を見て、ジョン・ウィックはある種の死神であるという確信を得た。率直に言えば、彼は酷い友人である。関わる数少ない旧友に良いことが全く起こらない。ネット文化に浸っている21世紀の我々観客は、いかにキアヌ・リーブスが「いい人」であるかを数々の衝撃的な逸話から知っているので、どうしてもそのキアヌ像を迷惑な人ジョンに重ね合わせることで作中の主人公が明らかに抱えている問題を中和してしまっている気がする。少なくともこの映画(というかキアヌ・リーブス主演の映画は全部そのような気がする)がキアヌ・リーブスの人柄という外側の情報によって救われているのではないか。

 そんなジョン・ウィックが友に一種の救いを与え、自らの目的も遂行してしまおうとする試みには若干ぐっときた。

本作といえばこの朝焼け!



『グランツーリスモ』と『アライブフーン』:リアルとバーチャルな場で走り続けること

 

 『グランツーリスモ』を観た。ちなみに、私はプレイステーションのゲーム「グランツーリスモ」をプレイしたことがない。この映画は、主人公がレーシング・ゲーム(厳密には"シミュレーター"らしいが)の敏腕プレイヤーから現実のレーサーになるという嘘みたいな実話を元に作られている。監督はニール・ブロムカンプで、自分が見たことある彼の監督作は『第9地区』と『チャッピー』くらいだった。彼のデビュー長編『第9地区』の評判が大変良かった半面、それ以降あまりいい話を聞いていなかった。そこでこの映画である。

 結論から言えば、レース場面が実に良く撮られていて、超高速で爆走するレースカーのスピード感や迫力がこちらにも十全に伝わってくる(若干乗り物酔いみたいになったが)ため、ほとんど見ていて飽きないソリッドな映画だった。王道のスポーツ映画ながらして、ゲームと現実のレーシングの境界が融解する映画というところで妙に超現実的な要素も交じっているところが映像に程よいアクセントを加えていて、いわゆるゲームの映画化として新鮮味があった試みだったと思う。 

 また、音楽の使い方もシンプルだがなかなか効果的で、主人公ヤン・マーデンボローが試合前に聞く音楽はケニーGとエンヤである(これは本当らしい)。ケニーGのイメージといえば、"Elevator music"などと揶揄されがちなスムース・ジャズを演奏するサクスフォン奏者として有名で、嘲笑の的とされることが少なくない。なので、ケニーGというチョイスに関しては同世代の周りにツッコまれていて、ちょっと和む瞬間になっている。対照的に、彼の指導者であるチーフ・エンジニア、ジャックが聞くのはハードロック/ヘビーメタルバンドの開祖とも言われるブラック・サバスである(しかも初期)。しかも、カセットのウォークマンを使って聞いている(ソニーの映画なので...)。ヤンの走行シーンにサバスの『パラノイド』を使うのは挿入曲としてある種ベタかもしれないが、上手く機能していたとは思う。また、過去のトラウマにより実力が出せずにいるヤンを奮起させるために「誤って」ジャックがエンヤの曲を大音量で無線で流したところも二人の音楽が対照的であったからこそ際立った。

 ただ、この映画をそもそも見ようと思ったきっかけが『ALIVE HOON アライブフーン』という一部では激賞されていた日本映画である。正直なところ、自分も劇場予告編は見ていたのだが、あまり見る気は起きなかった。その真価をきちんと理解している映画レビューを目にしたときには既に劇場で見る機会がなかった。そこで『グランツーリスモ』鑑賞を機に『アライブフーン』をようやく見た。

 こちらの主人公大羽紘一もグランツーリスモで国内優勝するほどの並外れた実力を持つゲーマーであるが、彼が誘われるのはドリフト競技の世界である。この世界では、F1レースのように先頭を走ればいいのではなく、いかにドリフトの高い技術を相手の車と接触することなく披露することができるかが重要(であるよう)だ。

 競技の差異こそあれど、物語の構造を見ると、主人公のようなゲーマーに否定的な指導者、実力を証明する主人公、大事な本番で味わう挫折とそこからの復活、時折融合するゲーム画面と現実のレース場面など、基本的に合致する箇所は数多く挙げられる。高度に発達したゲーム技術という現代性はあれど、2作ともにスポーツ映画の王道的展開を取り入れているため互いの共通項を見出すのは容易いだろう。

 ここからは結末部分に触れる。『グランツーリスモ』と『アライブフーン』との決定的な違いはリアルとバーチャルのレースに対する態度だろう。これは両方を見た人の多くが指摘していた点だが、『アライブフーン』で大羽は実際に大会で優勝しておきながら、eスポーツの世界に戻ることを決意する。『グランツーリスモ』のヤンと異なり、大羽の夢は現実のプロレーサーになることではない。ただ運動も勉強も苦手だった彼にとって打ち込めたのがゲームだった、というだけだ。この映画で、リアルとバーチャルな場が対等な場として描かれており、バーチャルがリアルで活躍するための踏み台にはされていない。

 また、両者の「世界の広がり方」を比べてみるのも面白いと思った。予算が雲泥の差であることは百も承知で言うと、『グランツーリスモ』は、そのゲームのように、自由自在に世界各国を股にかけてプロットを前進させている。ウェールズにいたヤンは、いつのまにか、日本、アラブ首長国連邦、ドイツ、フランスなど様々な国で走ることが日常となった一方で、『アライブフーン』の主な舞台は福島である。しかし、大羽は福島に居ながらして、日本チャンピオンになり、そしてeスポーツ復帰後世界大会でも活躍することになる。物理的な移動が伴っていなくとも、彼の活躍の場はますます広がりを見せており、むしろこれはバーチャルの強みを至って自然な形で示した例だと言える。

 

 

2023年8月の3点(『バービー』『あしたの少女』『ソウルに帰る』)

 『バービー』グレタ・ガーウィグ監督、アメリ

Movie Barbie (2023) 4k Ultra HD Wallpaper

真っ直ぐに語られるフェミニズム的メッセージ、往年の名作へのオマージュやパロディ、そして何よりも観客を笑わせてくれる要素を持つ娯楽大作にして、長編は3本目のグレタ・ガーウィグが世に問うた現時点での最高傑作。

 

『あしたの少女』チョン・ジュリ監督、韓国

2部構成で時間をかけて語られる主人公たちの人生が心に刺さる。後半で想定されうる「謎解き」には抑制的だ。だがどこに行っても大きく画面に広がる、とあるものが問題の根深さを鋭く物語る。

 

『ソウルに帰る』ダヴィ・シュー監督、フランス、ドイツ、ベルギー、カンボジアカタール

A woman in a car peers out the window. Lights are reflected on the window.

フランス映画としても、韓国を舞台にした映画としても大変興味深い、さすらい人の物語。最後までどこに向かっているのか分からない主人公の旅に気付けば見入っていた。