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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

『グランツーリスモ』と『アライブフーン』:リアルとバーチャルな場で走り続けること

 

 『グランツーリスモ』を観た。ちなみに、私はプレイステーションのゲーム「グランツーリスモ」をプレイしたことがない。この映画は、主人公がレーシング・ゲーム(厳密には"シミュレーター"らしいが)の敏腕プレイヤーから現実のレーサーになるという嘘みたいな実話を元に作られている。監督はニール・ブロムカンプで、自分が見たことある彼の監督作は『第9地区』と『チャッピー』くらいだった。彼のデビュー長編『第9地区』の評判が大変良かった半面、それ以降あまりいい話を聞いていなかった。そこでこの映画である。

 結論から言えば、レース場面が実に良く撮られていて、超高速で爆走するレースカーのスピード感や迫力がこちらにも十全に伝わってくる(若干乗り物酔いみたいになったが)ため、ほとんど見ていて飽きないソリッドな映画だった。王道のスポーツ映画ながらして、ゲームと現実のレーシングの境界が融解する映画というところで妙に超現実的な要素も交じっているところが映像に程よいアクセントを加えていて、いわゆるゲームの映画化として新鮮味があった試みだったと思う。 

 また、音楽の使い方もシンプルだがなかなか効果的で、主人公ヤン・マーデンボローが試合前に聞く音楽はケニーGとエンヤである(これは本当らしい)。ケニーGのイメージといえば、"Elevator music"などと揶揄されがちなスムース・ジャズを演奏するサクスフォン奏者として有名で、嘲笑の的とされることが少なくない。なので、ケニーGというチョイスに関しては同世代の周りにツッコまれていて、ちょっと和む瞬間になっている。対照的に、彼の指導者であるチーフ・エンジニア、ジャックが聞くのはハードロック/ヘビーメタルバンドの開祖とも言われるブラック・サバスである(しかも初期)。しかも、カセットのウォークマンを使って聞いている(ソニーの映画なので...)。ヤンの走行シーンにサバスの『パラノイド』を使うのは挿入曲としてある種ベタかもしれないが、上手く機能していたとは思う。また、過去のトラウマにより実力が出せずにいるヤンを奮起させるために「誤って」ジャックがエンヤの曲を大音量で無線で流したところも二人の音楽が対照的であったからこそ際立った。

 ただ、この映画をそもそも見ようと思ったきっかけが『ALIVE HOON アライブフーン』という一部では激賞されていた日本映画である。正直なところ、自分も劇場予告編は見ていたのだが、あまり見る気は起きなかった。その真価をきちんと理解している映画レビューを目にしたときには既に劇場で見る機会がなかった。そこで『グランツーリスモ』鑑賞を機に『アライブフーン』をようやく見た。

 こちらの主人公大羽紘一もグランツーリスモで国内優勝するほどの並外れた実力を持つゲーマーであるが、彼が誘われるのはドリフト競技の世界である。この世界では、F1レースのように先頭を走ればいいのではなく、いかにドリフトの高い技術を相手の車と接触することなく披露することができるかが重要(であるよう)だ。

 競技の差異こそあれど、物語の構造を見ると、主人公のようなゲーマーに否定的な指導者、実力を証明する主人公、大事な本番で味わう挫折とそこからの復活、時折融合するゲーム画面と現実のレース場面など、基本的に合致する箇所は数多く挙げられる。高度に発達したゲーム技術という現代性はあれど、2作ともにスポーツ映画の王道的展開を取り入れているため互いの共通項を見出すのは容易いだろう。

 ここからは結末部分に触れる。『グランツーリスモ』と『アライブフーン』との決定的な違いはリアルとバーチャルのレースに対する態度だろう。これは両方を見た人の多くが指摘していた点だが、『アライブフーン』で大羽は実際に大会で優勝しておきながら、eスポーツの世界に戻ることを決意する。『グランツーリスモ』のヤンと異なり、大羽の夢は現実のプロレーサーになることではない。ただ運動も勉強も苦手だった彼にとって打ち込めたのがゲームだった、というだけだ。この映画で、リアルとバーチャルな場が対等な場として描かれており、バーチャルがリアルで活躍するための踏み台にはされていない。

 また、両者の「世界の広がり方」を比べてみるのも面白いと思った。予算が雲泥の差であることは百も承知で言うと、『グランツーリスモ』は、そのゲームのように、自由自在に世界各国を股にかけてプロットを前進させている。ウェールズにいたヤンは、いつのまにか、日本、アラブ首長国連邦、ドイツ、フランスなど様々な国で走ることが日常となった一方で、『アライブフーン』の主な舞台は福島である。しかし、大羽は福島に居ながらして、日本チャンピオンになり、そしてeスポーツ復帰後世界大会でも活躍することになる。物理的な移動が伴っていなくとも、彼の活躍の場はますます広がりを見せており、むしろこれはバーチャルの強みを至って自然な形で示した例だと言える。