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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

『ナイトビッチ』獣になった主人公、そしてあのラストの解釈

 マリエル・ヘラー監督、エイミー・アダムズ主演の『ナイトビッチ』を見た。アメリカで劇場公開されたので、日本もあわよくば、と思っていたのが残念ながら配信スルーとなってしまった作品で、ジャンルとしてはホラー要素も若干入ったコメディドラマ(いわゆるdramedy)である。

 アーティストだった主人公が育児に忙殺され、正式に自らのキャリアを諦め、専業主婦にならざるをえない状況に直面する中、自分の体の異変に気付き、自分がもしかして犬になりつつあるのでは、と思い出す。

 

ykondo57.hatenablog.com

 今までの三本の長編作の評価がどれも高く、良作を作り続けてきたヘラー監督にしては、賛否の分かれている作品である。たしかに本人の独り言を幼児が理解していないという口実があるとは言え、心情が説明過多なところはあるし、終盤にかけての流れと、自分は犬なのか?という要素とがうまく嚙み合っていない印象は受けたので、評価が割れたことは十分に理解できた。

 とはいえ、約100分の中でヘラー監督の作家性が随所に見られる作品ではある。さらっとした毒気はあるが、見る者をクスッと笑わせるユーモアや、主人公の脳内をCGやアニメを用いて見せる手法は、とりわけヘラーのデビュー作『ミニー・ゲッツの秘密』(2015年)に見出すことができるし、共働きを選んだはずの夫婦において、夫だけが会社仕事に従事し、結局のところ育児はもちろん家事全般を妻に任せきりになりがちだという問題は既に前作の『幸せへのまわり道』(2019年)で描かれていた。あの映画でも、急に子ども番組の演出法で主人公が現在と過去のトラウマを思い出す悪夢的なシークエンスを描いていたので、やはり本作と相通じるところは多い。

 また、容易に言語化ができない育児の経験をアートに昇華させて、観客もそれを追体験できる演出や、いざ夫が「ワンオペ育児」を始めるとなぜか犬の遠吠えの幻聴?が聞こえてしまう、という描写はなかなか面白かった。

 ここからは最終シーンに触れる。

 たしかに育児によって随分大変な思いをしたのにまた突然の出産シーンが出てくる。「あれだけ子育てで参っていたのにいきなり二人目を産もうという展開は非常に母性礼賛的だ」という指摘はごもっともである。作り手としては当初のテーマ(育児が人を「犬」にさせる)をコミカルに反復していると受け取れるし、そこにそこまで深い意味はないように思えるのだが、こちらとしてはもう一歩踏み込んで考えたくなった。作品における意図はさておき、排除できたように思えた脅威も、最後の最後でまだ存在していること(死闘の末倒したはずの殺人鬼はまだ死んでいなかった!など)が示唆され、一種のバッドエンドで映画を締めるのがホラーの定石の一つだとするならば、『ナイトビッチ』もまたさらなる試練が待ち受けている、またあの自らの中にある「犬」と向き合わねばならないのか・・・という怖いエンディングだという解釈もできなくはないと思った。

 正直なところをいうと、自分は育児版『キャットピープル』のようなものを期待していたので、それとはまた異なる趣旨の映画だったことは間違いない。しかし、そういえば『私ときどきレッサーパンダ』は、ホラー的演出こそないが、主人公の実存をめぐる葛藤と、モンスター描写とが有機的に交わり、それでいてアニメーションならではの、陰惨にはならないカタストロフがしっかりと描かれていて、やはりあの映画は何度でも語られなければならない・・・という話はまた別の機会に。