
『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』
『キャット・パーソン』
その『キャット・パーソン』では、昔のハリソン・
自分はこの場面を見ていたので、『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』という映画が、二代目キャプテン・アメリカの映画というよりも、元将軍の"サンダーボルト"・ロスを演じるハリソン・フォード(故ウィリアム・ハートの跡を継いでいる)が自分の「有害性」と向き合う話のように思えて仕方なかった。大統領役は経験済であるハリソン・フォードがロス大統領を演じることで、彼の物語を大々的に取り上げるようになったのは想像に難くない。CMの時点でフォードことロスがレッド・ハルクとなって大暴れすること(何の捻りもなく本当にラスボスだったのには驚いたが...)は分かっていたので、ロスはどこかで心を乱すことは読めていた。したがって、前述のようなヒロインとキスするような場面は当然ないものの、老いた大統領として彼は娘エリザベスと和解したくとも本人と向き合うことを避け続けるし、後ろめたいことは話せず、それが外交上の悪手につながる。
そういった彼の言動にどこか『キャット・パーソン』で登場するフォード像と相通ずるものを感じた。要するに交渉ができるサムとは異なり、本作におけるロス=フォードとは、使うべきところで自分の言葉を使えず、それゆえ間違ったところで間違った強気な行動に出てしまう不器用な男なのである。そして彼は簡単に黒幕の言葉により煽動され、怒りを統御できずに巨大な赤鬼として大暴れしてしまうのだから、これを一種のメタファーだとするなら、これほど分かりやすいものはないだろう。
もちろん、説話的な都合としてエリザベスがもっと早い段階で出てきていればおそらく話はさっさと収束していただろうし、サムvsロスの最終バトルも、もっとエリザベスの話を早い段階で切り出せていればあれほどの被害はなかったかもしれない。しかし、それはこの映画の限界であると言わざるをえないだろう。何はともあれロスは最終的に自分が作った刑務所に自ら入ることを選ぶ。それは自らの「有害性」ときちんと向き合えるようになったことを意味することに加え、ハルクになってしまうという危険は単なる「根性論」だけで回避できないし、常に自分の中に魔物が巣くうことを認識しているという意味もあるのだろう。