ガイ・リッチー作品を全く通ってこなかったので、『ジェントルマン』が初鑑賞作品となった。時系列を巧みにシャッフルする構造に我々は既に慣れ切っているがそれでもその特有の面白さは感じられた。さらに映画の中の「映画みたいな物語」として本筋をヒュー・グラント演じる私立探偵フレッチャーに語らせるのもなかなか飽きさせない話の運び方だったと思う。
そのうえで、引っかかった点はいくつもあったのだが、とりわけ指摘しておきたいのは(以下ネタバレ)ユダヤ人大富豪のマシューの最期である。要するに彼はマシュー・マコノヒー演じるミッキーを裏切った代償を自らの身体でもって払うことになるのだが、「彼の身体を1ポンド分くり抜く」というその罰はシェイクスピアの『ヴェニスの商人』におけるユダヤ人の金貸しシャイロックを想起させる。これは「あえて説明はしないけど、分かるよね」という監督による目配せなのだろう。しかしながら、今日ではシャイロックは「強欲な金貸し」という反ユダヤ主義的なステレオタイプを体現していると存在であると散々指摘されていて、そのステレオタイプを現代が舞台の本作でも反復し、助長しているところははっきりと批判しておきたい。全員悪者なんだからいいじゃないか、という反論ももちろんできるが、ミッキーがアンチ・ヒーローとして観客が(ある程度)共感できるキャラクターとして登場している以上、自分としてはひっかかるところだった。