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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

アメリカン・スナイパー 解説・分析 ネタバレあり

(ネタバレなしの感想→アメリカン・スナイパー 感想(ネタバレなし) - アメリカンにアメリカ映画を観る!

 (音声解説もしています↓)

 

ポッドキャスト アメリカン・スナイパーの”モヤモヤ”を考える(音声解説) - アメリカンに映画を観る!

 

 何よりも、この映画の恐ろしいところは、

 

クリス・カイルが戦場が生還したものの、生ける屍となってしまい、現実にアジャストできず壊れていく様子が描かれていることだろう。

 160人以上を仕留めた敏腕スナイパーの”一人目”は子どもで、”二人目”はその母であろう人物だった。スコープ越しに映し出される標的の命を奪っていくのは、『第三の男』での「(観覧車から客を見下ろしながら)あの点の一つが、永遠に動きを止めたとしても、お前に気にするか?」というような、冷徹な態度だけでは対処できないことだ。

 クリス・カイルは、アメリカに戻ってきても、以前の平穏な暮らしは送れなくなっていた。血圧も異常に高く、スナイパーとしての職業病か、妻と会話しているときも、ほとんどまばたきをしない。それに、芝刈り機の音や、ドリルの音にも過敏だ。それもそのはず、彼は戦場で自らの判断により、最終的には罪のない男の子の命が、ドリルによって奪われてしまったのだ。オフのテレビ画面を眺めていても、イラクでの悪夢が蘇る。

    そして、同じように戦争の傷に苦しむ 兵士たちを助けることで、クリスはようやく自ら平穏を手に入れようとする。しかし、その好意が彼の命を奪うことになった。ラストシーン、外で待っていた兵士の目は完全に死んでいたし、以前のクリス同様、まばたきをしていなかった。自らを苛んだ、アメリカの戦争に彼は飲み込まれてしまった。

 

 様々な映画評論家のレビューを読んでいると、興味深い点がいくつかあったので紹介しておきたい。

  Forbesの連載にて門真雄介氏は、この作品の裏テーマとして、 「西部劇のダイナミズム」を挙げている。

カウボーイを夢見て、実際に狙撃手=ガンマンになったカイルは、五輪メダリストの経歴をもつ反政府勢力最高の狙撃手と最後に“果たし合い”を行う。ライフルから放たれた弾丸が、弾道も鮮明に遙か彼方の相手目がけて飛んでいくさまは、近年のイーストウッド作品にはなく劇画的だ。また、カイルたちネイビー・シールズが敵陣の建物屋上で孤立し、大砂塵の中、迫りくる反政府勢力を迎え撃つ場面は、西部劇でおなじみの砦を巡る攻防と相通ずる。

http://forbesjapan.com/summary/2015-03/post_2059.html

 たしかにそうだ。補足しておきたいのだが、このスナイパーはクリスカイルの手記では一行分しか言及されていないそうで、この細かな設定は創作だそうだ(2015年4月号映画秘宝より)。ここにも、きちんと敵側の内情も描くという(当たり前に思えるが案外軽視されがちな)側面が見られ、アメリカを美化しようなんてことはしていないこの映画の意図が分かる。

 また、超映画批評の前田有一氏は、クリスが犬に殴りかかるシーンに重要性を見出している。クリスは、打ち破るべき「狼」ではなく、「番犬」を殴ろうとしたのが重要なメタファーであって、彼(=アメリカ)は本当は「狼」ではない存在を相手に戦争をしていたのではないか、というところまで踏み込んでいる。

http://movie.maeda-y.com/movie/01961.htm

 個人的に私がこの映画を見たときは、それはミッション中で、敵のスナイパーから銃撃を受けた際に、犬に襲われかけたことを想起させたからあれだけの行動に出たのかと思っていたが、象徴的に見ると非常に重要なシーンだったのがわかる。

 このように、一筋縄ではいかない映画だが、それゆえ打ちひしがれるのが自然な作品であるのかもしれない。イーストウッド監督、恐るべし。