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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

ブレードランナー2049は回し蹴り映画だ(ネタバレゼロレビュー)

 
 『ブレードランナー 2049』を観てきた。あえて本編の本筋に触れず、この映画について語りたいと思ったら、回し蹴りの話をするのが個人的に一番だ。
 
 自分が観た劇場では、少しだけ笑う人が少しだけ聞こえたような気(あんまりジョークはないけど)はしたが、回し蹴りが炸裂して小さな声で"whoo!”と言ってしまったのは、自分だけだった(結構恥ずかしかった)。
 
 様々な登場人物がいる中で、回し蹴りの使い手は一人だけ。派手なアクションこそないこの映画だが、男たちはとにかく泥臭く拳で戦う。殴りあう姿に美麗な要素はもちろんない。手は無論相手の血で汚れる。しかしながら、(恐らく本編で二回?)炸裂する回し蹴りは、自らの手を汚さず、それでいて相手に大ダメージを与える。ノックアウト級なのはいいが、ここは映画の世界、反復があるとほぼ必ず差異が生じる。二回目の回し蹴りはどうなる?というか、そもそも誰が蹴って誰が蹴られるのか?回し蹴り映画、ブレラン2049をぜひどうぞ。

【ホラーコメディの傑作】タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら【トランプ政権の今、観たい一本】 

 拾い物、とはこのことだ、と言いたくなるような映画だった。

 ホラー映画の安直な筋書きや過剰な暴力には多少食傷気味の映画ファンもいるかもしれない。そんなときには、そういった「お決まり」を転覆させるような、自覚的なホラー(メタ・ホラー=ホラーについてのホラー映画)を観るのは一つの手だと思う。

 今回紹介したいのは、『タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら』(2010年)という、かなり微妙な副題がついている映画だ。原題は、"Tucker & Dale vs. Evil(悪)"というおふざけ加減が丁度いいタイトルだ。

 この映画の見どころは、スプラッターホラー&コメディという絶妙なジャンルの組み合わせが成立していることと、今までの(ホラー)映画に潜む偏見を暴き出していることだ。

 主人公は、いわゆるヒルビリー、プア・ホワイト(貧乏白人)とされるタッカーとデイルの二人で、彼らは地道に貯めてきたお金で買ったぼろぼろの別荘に、初めて足を踏み入れる。しかし、その近くで、夏休みを過ごしている大学生のグループに、ある事故をきっかけに勘違いされ、とんでもない展開を迎える。(乱暴にまとめると、要するにアンジャッシュのコント的な映画なのです)

 この映画が黒い(そして血まみれの)笑いとともに提示するのは、南部のブルーカラーの白人たちに対する偏見だ。たしかに、例えば『悪魔のいけにえ』を思い起こしてみれば分かるが、ホラー映画において南部のプア・ホワイトたちの扱いは割と一面的で、理由もなく殺人を繰り返す連中として描かれがちだ。反証はいくらでも出来るだろうが、そういったステレオタイプが数々の映画によって形成されてきたことは事実だ。

 その一種の偏見があるからこそ、大学生たちが彼らを殺人鬼だと思い込み、一斉に正当防衛の名において、彼らを殺しにかかる。

 (まあ、しかしながら全員アホな大学生たちなので、タッカーとデイルが何もしなくとも死体の山が築かれていく訳です)

 もう少し真剣な話に戻るが、ドナルド・トランプが大統領になった直後から、リベラル側が、裕福でない白人労働者のことをあまりにも軽視していたことを猛省し始めたが、この映画を観れば、紋切型で人を判断するのはお互いにとって好ましくない、というごく当たり前のことに改めて気が付かされる。そういう意味でも一度ご覧あれ。

 

タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら [DVD]

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ポッドキャスト放送後記 ラ・ラ・ランド

 今回の投稿はポッドキャスト版の『アメリカンに映画を観る!』を一か月ほど前に更新していたので、そのお知らせと放送後記なるものです。

 

(新)アメリカンに映画を観る!

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 今回は大ヒット中のミュージカル映画ラ・ラ・ランド』の「光と闇」について話しました。「光」の面については、良質な楽曲や、オープニングの長回しシーンなど、見どころがたくさんあるエンターテイメントとして、誰にでも薦められるような作品となっていると思います。同監督の『セッション』(2015)は、ジャズ×スポ根的映画であったため、大変な傑作だと個人的には思う一方、誰にでも薦められるような作品ではなかったのと対照的です。

 しかしその一方で、後半、いささか大げさに「闇」と題して本作について論じたのは、やはりライアン・ゴズリング演じるセブのジャズに対する考え方、簡略に言えば彼の音楽観に違和感を感じる人が少なからずいるのかちゃんと説明しておきたかったからです。もちろん、菊池成孔氏の映画評(第一弾:http://realsound.jp/movie/2017/03/post-4278.html

、第二弾:    )にて論じられていること以上のことを私は到底指摘出来ていませんが(至極当然のことですが)、ただ文体や内容がやや難しいだと思いますし、もう少しかみ砕いて説明することも大事かなと思います。

 結局のところ、私自身が一番違和感を覚えたのが、「純粋なものとしてのジャズ」をセブが必死に守ろうとしているというところでした。そもそも、白人であるセブが、黒人音楽であるジャズ(とは言えどそんな単純な話でもありませんが)を保全しようとすること自体、どこかいびつだという議論は成り立ちうるでしょう。ですが、純粋なジャズと言ってもそれは一体何なのか、そのようなものがそもそも存在するのかという疑問は残ります。懸命に昔のスタイルのジャズを残そうとしても、それを聞いてあげようとする人間がいなくなってしまえば、元も子もない訳です。(その点に関してはむしろ、ジョン・レジェンド演じるキースの言う通りです)

 セブの愛するジャズ自体、様々な変化を経て到達した一つの点にしか過ぎない訳で、そこからまた新しいジャズが生まれ、今に至る訳ですから、変化は不可欠であると共に、また面白いものが生まれるきっかけとなっていく訳です。上手く変化と折り合いをつけることが出来ないところに、どこかセブの頑固さや、むしろジャズの首を絞めてしまっているところがあるのかもしれません。

 ちなみに、ポッドキャストの中で他の点にもツッコミを入れていますが、あくまでもそれは一種の指摘なのであって、評価自体に影響を及ぼしたかというとそれはまた別問題だと自分では捉えています。あくまでもこの映画が好きか嫌いかというのは、客観的な論考に基づくものでは必ずしもないと思っているので。

 

 

ローグワン感想

 2015年から続くスターウォーズ祭り(?)は、今日、今年度最高潮を迎えたと言ってもいいかもしれない。『ローグワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の上映初日である。

 早速午前9時代の上映に行った。去年も似たようなことを言っていたかもしれないが、自分としては結構満足のいく一本だった。今年のベストを一本だけ選ぶとすれば、ほぼためらうことなく『この世界の片隅に』になるが、『ローグワン』も結構上位に入ると思う。

 まだ観てない人も多いと思うので、直接内容に触れることなく上っ面の感想だけ書くが、これはSF冒険活劇というよりも、「戦争映画」だと思う。この見方は、そもそも監督が言っていることだ。

collider.com

Gareth Edwards on Filming Rogue One Like a Documentary | Collider

せっかく新しい映画を作るなら、旧作の要素は継承しつつ、監督なりのひねりがないとあまり意味がないと僕は思っているので、この判断は正しかったと思う。

  一応エピソード3では、ジェダイの粛清が起こっていて、生き残ったジェダイはオビ・ワン=ケノービとヨーダのみという旧3部作の大前提があるので、急にジェダイとシスがまだ大量に残っていたという設定をでっちあげてチャンバラさせる訳にも行かないし。

 もちろん本作はエピソード3と4との間に位置するので、達成しようとするミッションがどうなるかは皆もちろん知っている訳だが、それでも最後はびっくりさせられた。その点に関しては劇場で確認してください笑

 

 

ポッドキャスト予定告知~エクスマキナ、来るべきポケモンGO、アメリカ政治を予言したおバカ映画

久々にポッドキャストを更新しようと思います。この先数日で更新を予定しております。

現時点で話す予定の内容は、そろそろ関西圏でも上映が終わりそうなSFスリラー『エクス・マキナ』の解説、いつになったら来てくれるのか分からないポケモンGOと、アメリカ文化、社会との関連、そして、トランプ氏が共和党候補確実となってしまった現実を、不運にも予言してしまったと話題の映画についても話そうと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

映画Fake感想(ネタバレなし)

 森達也監督の『FAKE』(2016年)を観てきた。ネタバレなしでは、あまり突っ込んだ議論は出来ないので、あくまでも軽い感想に留めておく。

 とんでもない映画である。

 個人的にドキュメンタリー映画を敢えて好んで見るようなことはしないのだが、2年以上前にゴーストライター騒動で話題になった佐村河内守をカメラに収め続けた、しかも衝撃のラスト12分がパンチラインとなっていたドキュメンタリー映画として話題になっていたので、映画館に足を運んだ。

 「コメディ」として見ていた評者もいたように、たしかにくすっと笑えるシーンは少なくない。夕飯のおかずに全く手を付けず大好きな豆乳をただただ飲むという滑稽な場面や、所々で挿入される猫の愛らしい表情には笑ってしまった。

 そんなコミカルなシーンはあったものの、最後まで観てみると、判断を綺麗に下させてくれない作品になっている。軽く数えても、主張点が3,4回は反転させられていたように思う。

 その展開に驚かされた一方で、これをまともに純粋なドキュメンタリーと捉える視点も森監督のやろうとしていることとまた別の話だろう。

 自分もその頃はツイッターでよく友人が佐村河内守ネタ投稿をリツイートしていて、それとなく現状の認識はしていたつもりだが、実際この映画を観てみると、例えばフジテレビのバラエティ番組や、週刊誌の取り上げ方には辟易としてしまう。そもそも、ネット上の大喜利に喜々として乗っかかり、少しでも他人のタイムラインを風刺でもって盛り上げようとした人間の何割が彼の手掛けた音楽を知っていたんだろうか。僕自身もこのスキャンダル以前はほとんど知らなかった。

 さらに、ゴーストライター問題と、耳が聞こえないフリをしていたという問題に対して、同じ論じ方をするのはおかしい気もする。二重の悪事を働いていた、という観点から批判していたのだろうとは思うが、後者に至っては、いわゆる耳の聞こえる人/聞こえない人の二元論で話を考えようとするから話がおかしくなってしまう。じゃあその狭間にある状態の人たちはどうなるのか、世間が聴覚障害についてあまり詳しくないんじゃないか(例えばメガネを掛けている人のことを視覚に障害があると、まず考えない一方、補聴器を装着している人はその人の聴覚について少し意識することがありえるという非対称性があると個人的には思う)と思った。

 余談になるが、最近、週刊文春がスクープを連発していて、停滞ぎみなジャーナリズムにまた新しい風を吹かせていると思っていたが(ゴーストライター問題もそのスクープの一つ)、そのスクープで、日本国民が全体として救われているのか、と言われると違和感しか残らない(直近の話題で言うと、舛添を引き摺り下ろした結果、さらなる税金の大いなる無駄遣いが生じた。本当にバカを見たのは誰なのか、都民は少し考えた方がいいんじゃないか。まあ一連のスクープのおかげで文春は売れるようになっているのだが)。文春には元気に頑張ってほしいとは思う一方で、世間がそれにどう反応していくかは、一人一人がしっかりと頭を冷やして考えないといけないのかなと思った次第。

レヴェナント 元ネタ集

 前回のポッドキャストでリンク貼りますと言っていたが、まだ貼っていなかったので、以下に掲載しておきます。

 

The Revenant by Tarkovsky on Vimeo

 

この動画を見れば分かるように、本作というのはオマージュ満載なのだ。しかし、コメント欄を見ると、それが果たしてオマージュなのか、あるいはパクリなのか、とちょっとした議論になっている。最近レッド・ツェッペリンの代表曲『天国への階段』がパクリだとして訴訟させていたが、あんまり意味のないような気もする。上手く自分で消化出来ていない映画は、いくら良い映画から取ったところで面白くないし。