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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

ポッドキャスト第三弾 スターウォーズ旧3部作徹底解説!

スターウォーズ旧3部作について徹底的に話しました。

http://mrjohnnydepp.seesaa.net/index20.rdf (スマホ用)

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 Soundcloudに音源をアップロードしておりましたが、容量がもう残り少ないので、seesaaブログの方に移行しました。どうぞよろしくお願いします。

 


Star Wars: The Force Awakens Official Teaser ...

今回は、スターウォーズ旧3部作(エピソードIV,V,VI)を解説、分析しました。
あらすじを一通り押さえたあと、前編では「日本的要素」「父子間の争い」について論じました。
C3POR2D2の原型はクロサワ映画と誰?ルークの服装の色の意味とは?なぜこの映画は革新的なのか?

後編では「アメリカ映画への影響」と新3部作(エピソードI,II,III)について話しています。
アメリカン・ニューシネマとスターウォーズの関係とは?何故新3部作は不評だったのか?

 

ポッドキャスト予告 スター・ウォーズ徹底解剖~旧3部作の凄さはどこにある?どう観ればいいのか?

12月のポッドキャスト前半はスターウォーズ特集です。

 

旧3部作のストーリーをおさらいした後、結局この映画の何が当時画期的で、何が根底にあるのか、解剖していきます。様々なファン独自の理論が既にネット上で飛び交う中、そういった多種多様な視点を援用しつつ、この旧3部作の新たな見方を考えていければ、と思います。

americannieiga@gmail.comにまで、スター・ウォーズ関連の質問、感想、コメント等お待ちしております!

 

ポッドキャスト マッド・マックス 怒りのデス・ロードの「色」を読み解く!(抜粋)

www.youtube.com

アメリカンに映画を観る!」ポッドキャスト第一回の抜粋です。この映画における「赤と青」の意味を探りました。
フルバージョンはこちらです→http://feeds.soundcloud.com/users/soundcloud:users:32797342/sounds.rss

海外だとスター・ウォーズシリーズの最高傑作は何なの?

 もうエピソード7の公開まで一か月切った今ですが、スター・ウォーズ旧3部作及び新3部作の内どれが最高傑作とされているのでしょうか。Imdbという英語圏最大の映画レビューサイトから探っていきたいと思います。

ざっくりとリストアップしてみると、以下の通りです:

『エピソード5:帝国の逆襲』(10点満点中)8.8点 

『エピソード4:新たなる希望』8.7

『エピソード6:ジェダイの帰還』8.4

『エピソード3:シスの復讐』7.7

『エピソード2:クローンの攻撃』6.7

『エピソード1:ファントム・メナス』6.5

 

 御覧の通り、旧3部作の評価の方がはるかに高いというのがコンセンサスのようです。このサイトは、一般観客が個別に10点満点中何点か評価していくスタイルを取っていて(1点刻み)、投票数のばらつきは見られます。例えば、最低評価のエピソード1は47万票近くあるのに対して、エピソード4は80万票強が投じられています。票の多さにも、人びとの評価が反映されていることが分かります。

 ちなみに、8点台後半は、IMDbのサイトにおけるオールタイムベストの上位(『帝国の逆襲』は12位、『新たなる希望』は19位)にランクインするほどの傑作映画とされており、逆に6点代となると、毎年大量生産されるおバカアメリカンコメディの平均的な作品と同じくらいの評価で、完全に駄作とは言わないまでも、多くは期待できない点数になります。

 個人的には、新3部作の方が好きかもと言えるくらいですが(単純にCGの技術が上がってアクションシーンに見ごたえがあると子供なりに思えただけかもしれませんが)、たしかに今見ても旧3部作もかなり面白いとは思っています。

 というか、そもそもスターウォーズシリーズは、今の若者世代のハリーポッターのようなもので、とりあえず皆だいたいの話は知っているがゆえに、他の映画にも、オマージュあるいはパロディーの形を取って、頻出してきます。日本映画に、「サザエさん」や「ドラえもん」のネタが出てくるようなものです。知っていないと、アメリカのコメディ映画で笑えないシーンが案外出てくるもので、なかなか辛いものがあったりもします。

 そういった文脈で語られることの多い本シリーズですが、少なくともエピソード5、エピソード3が、各3部作の中でも最高傑作とされており、どうも楽しい冒険活劇ものである認識の強いこの映画ですが、その中でも悲劇モノの方が、映画ファンからは評価が高いようです。個人の意見としては、『帝国の逆襲』が最高傑作かどうか、断言できませんが、このIMDbのデータはかなり興味深いデータだと思います。

ポッドキャストEpisode02 ジム・キャリー映画の神髄とは?

ポッドキャストの第二回、更新しました。

今回は、『Mr.ダマ―』の続編が今月公開されるということで、ジム・キャリーの諸作品について論じました。

Episode 02 ジム・キャリー映画の神髄とは? by アメリカンに映画を観る!! | Free Listening on SoundCloud

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ジム・キャリー作品における、コミカルな部分とシリアスな部分とは?
彼の作品に通底するものは、『マスク』から始まった?
彼はカナダ人?コメディアンとして彼が抱えていた葛藤とは?

次回のポッドキャストで扱ってほしいテーマ、映画、あるいは、独自の見解など、americannieiga@gmail.comまでご投稿下さい!

 

ポッドキャスト予告 第二弾 ジム・キャリー特集

 今月のポッドキャストは、『Mr.ダマ―』の続編が今月公開されることを記念して、ジム・キャリーの特集をします。

 


Dumb and Dumber To - Official Trailer Premiere ...

 30年以上のキャリアを誇る名コメディアンジム・キャリーの傑作映画を振り返りながら、彼の光と闇についてディスカッションしていこうかと思います。

 そこで、ジム・キャリーの好きな映画とその理由を americannieiga@gmail.com まで是非投稿よろしくお願いいたします!

ウディ・アレンの『カメレオンマン』から見るドキュメンタリーの神話

『カメレオンマン』はウディ・アレンによるモキュメンタリ―で、ゼリグという、あるトラウマ的経験をきっかけに、カメレオンのごとく周りに合わせて変態する人間になってしまい、アメリカ社会でセンセーションになってしまう男を描いたコメディ作品です。

 

ドキュメンタリーの神話

 ウディ・アレンの作品としては珍しく、本作はいわゆるモキュメンタリ―の形式を採用しており、我々が彼の作品に期待するような、ウディ・アレン自身の、若干パラノイア的なトーク、あるいは毒気の強い彼と(多くの場合)それを受け止めようとする彼の恋人とのダイアローグの力にあまり頼れない。たしかにミア・ファロー扮する博士とゼリグは録音されたという前提の下、催眠療法を通して会話するが、それは全編を通してもごく一部分を占めるに過ぎない。それでも、この映画があくまでも空想の現実的記録であるには大いに意味があると考えられる。実写映画と異なり、ドキュメンタリー映画にはある程度の、現実に忠実な記録性を求めがちだ。そして、そこに演出のいう名の“やらせ”が介在するとき、現実性を損ねたとして批判の対象となることは少なくない。その一方で、むしろドキュメンタリーの不可能性や虚構性に着目する制作側の人間もいる(もちろんそのことをわかっている観客も多い)。映画もメディアの一つであり、メディアである以上、主観の介入は、被写体の取捨選択や編集の必然性を念頭に置けば、ある種不可避なのであり、極論を言えば、全てのドキュメンタリー映像(あるいは報道)は“偏向”的であるのだ(中立性に関しては、イーグルトンの『文学とは何か』が示唆的である)。そして、『カメレオンマン』が虚構性に満ちており、歴史的事実にゼリグというフィクションが入り込んでいることは自明だ。つまり、ドキュメンタリーが現実をあるがままに描けないなら、その形式をフィクションを描くのに使ってしまおうということなのだ。

 ここに非常にトリッキーなのは、ナレーションのみを聞いているとゼリグのような超自然的存在はいくらなんでもあり得ない、と思えてしまうところ、数々の著名な知識人の言質を取っていることなのだ。ソール・ベロー、アーヴィング・ハウなどのリベラル知識人が、真剣な表情で、ゼリグという一社会現象を分析し、また本編の終盤では、過ぎ去りし奇矯な存在に対する、センチメンタルなものを彼らの表情から伺えもすることを考えると、起点がそもそも虚構だとしてもどこか信じてしまいそうな気分に陥る。

 ここがコメディ映画でありながら、末恐ろしいところだ。ソースがウソだとしても、権威主義的な振る舞いを我々は知らず知らずのうちに継続しているのならば、どこか受け入れてしまうきらいがあるし、そこから始まる伝言ゲームは回数を重ねる度にその現実味を増す。それは、現代社会の例からすれば、その中身を把握できぬ、サブプライム・ローンが無数に入った“福袋”がその空虚な信頼性をいたずらに引き上げていったことと重なる。そしてそれ以上に重要なのは、この伝言ゲーム的コミュニケーションはデマの温床だということだ。まさしくナチのプロパガンダは、嘘を繰り返すことで、そもそもねつ造されたユダヤ人に対する陰謀論に、根拠のない信頼性を培養していったし、大衆の間で伝えられていくことで、その言説への懐疑度も下がっていった。現在の我々も、アポロの月面着陸、9・11、3・11、在日外国人等に関する、陰謀論が、虚偽を火種とし、ネット上で単に数を増すことで人口に膾炙しかねない状況を生み出している。このように考えると、権威主義的な、あるいは多数による言説を鵜呑みにする傾向を、このモキュメンタリ―という形式が暴いてしまっていると考えうるだろう。

他のウディ・アレン作品の考察はこちら

 

ykondo57.hatenablog.com