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アメリカンに映画を観る!

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Her~世界で「ひとつの」彼女(前編)

遅ればせながら、"Her~世界でひとつの彼女”(映画観終わってみると、何て皮肉なタイトル・・・)観ました。

近未来のロサンゼルスで、セオドア(ホアキン・フェニックス)は相手に代わって思いのたけを手紙にしたためる代筆ライターをしていた。長きにわたり共に生活してきた妻キャサリンルーニー・マーラ)と別れ、悲嘆に暮れていた彼はある日、人工知能型OSサマンサ(スカーレット・ヨハンソン)と出会う。次第にセオドアは声だけで実態のない彼女の魅力のとりこになり……。(シネマトゥデイより引用) 

 設定は近未来であるものの、この映画は上海でロケしたらしい。上海の風景をベースとして、主人公の周りの環境を、赤をあちこちに配置して、どこか幻想的に仕立て上げたのはお見事。町並みをビルから見ると、常にかすんでいて、どこかセピア調になっている。まさに、主人公が、恋の痛手から立ち直れておらず、くっきりとした現実が見えていない彼の心情を表しているよう。そして、そのセピア色がこの映画の切なさを強調しているよう。

 

 結論から言ってしまいますが、基本映画という物語構造において、主人公という存在には何らかの変化が起こる、とされている。

 実際彼はどう変わったのか??

少し、ストーリー上、私が重要だと思ったところをピックアップしたい。

 

 

 

 ざっくり言えば、セアドアは、スカーレット・ヨハンソン演じる(?)OSサマンサと恋に落ちる。会話も本当に楽しそうだ(彼との会話を通じてサマンサは進化し続けるのだから、そりゃそうだ)。

 そして、セアドアとサマンサは、互いの身体を求め合うようになる。猫の死骸で私の首を絞めて!とか言っていた女性がオープニングまもなく(声だけ)登場していたが、ここでその訳の分からんシーンの意義が分かる。そのコミカルなシーンでもって、彼の寂しさと求めているものが提示され、それが少なくとも一時的に満たされるという対比が描かれている。

 そして、イザベラという、サマンサの身体代わりになる人物が登場するが、シアドアはどうも気まずく思えてしまう。涙で目を腫らせながらタクシーで去っていくイザベラ。「何でため息するんだ。OSに酸素なんていらないだろう。」と言い捨てるシアドア。

 これが、私が考える第一のコンフリクト(意見の対立)だ。これは、シアドア側が始めた、ある存在の肉体性をめぐる問題だ。これはまだシアドアは理解できる範囲の話だ。

 だが、第二のコンフリクトになると、彼は、彼の思考の枠組みからはるかに外れた哲学的・観念的問題にぶち当たることになる。

 (ネタバレふくむ後編へ