さて、前半の続きです。
先述した第二のコンフリクトとは、OSサマンサがセオドアと話している最中、他にも8316人と話しているし、サマンサはセオドア以外に641人もの人間を愛していると、おそらく人間レベルでは理解のし難いことを告白されるということだ。(物理的に人間には不可能だ)
第一のコンフリクトに付随した、肉体性という問題は一応解決できたといえよう。ただ、こればかりはセオドアには理解できない。そもそも、一夫多妻はあっても、多夫一妻という制度はなかなか想像しがたいのではなかろうか。女性が同時に複数(641人!)の男性を愛している状態で、「それでも、あなたに対する愛は増すばかりよ」などといわれても、男性(セオドア)は混乱するばかりだ。
セオドアは、結局自分が抱く愛の形というものが分からなくなる。
数々の障壁を乗り越えてきたつもりだったが、I'm yours and I'm not yours (私はあなたのものだし、あなたのものでない)という命題を明示されて訳が分からなくなる。
(実は、サマンサが人間・セオドアという存在をはるかに超越してしまっていたのは、生前哲学者だったOSと、非言語で、セオドアをシャットアウトして哲学的思考を深めていっていたところだったと思う。あの時点で、既にセオドアが理解できる領域から完全に外れてしまっていたことが分かる)
映画を見終われば分かることだが、これはサマンサとの別れのプレリュードだった。
理由が説明されることなく、OSが一斉に消え去ってしまう。残ったのは、心の穴が埋まらない人間たちのみ。
ただ、OSの存在意義が無に帰してしまったのか?答えは否である。
あのOSという存在は、メタファー(隠喩)的に言えば、登場人物の心の鏡だ。映画秘宝8月号でも指摘があったとおりです。(サマンサはセオドアの言動を吸収していき進化していった存在)
品行の悪い人間を見たとき、「お前のこういうところは直せ!」と人は言いたくなりますが、そういうところが自分の欠点と(無)意識的に分かっているから生じる、という心理学的主張もある。
サマンサとの恋愛を通じて、セオドアは、自分の欠点やほころびに気づかされる。ただただ傷つけられる人生を送っていたと思っていたものの、周りの人(離婚した妻キャサリン)も傷つけてきたのが分かる。
それゆえ、最後の最後で、セオドアはキャサリンに手紙を書く。
様々な女性にセオドアは出会ってきたが、結局自分の内面を見つめるチャンスをくれたのは、肉体を持たないサマンサだったのだ。
Karen O - The Moon Song - YouTube
(同じAIものでも、
トランセンデンス~イブリンの「罪と罰」 - アメリカンにアメリカ映画を観る!
より大分考えさせられました。随分小規模な話なんですけどね!)