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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

フィールド・オブ・ドリームス(インターステラー元ネタ)父子の仲を野球で!

 

 インターステラーの元ネタでもある『フィールド・オブ・ドリームス』。時折テレビで放映していることは記憶していたが、敢えて見るほどの映画だとは思っていなかった。ところが、意外に良作だった。原作小説の方は未読だが、アメリカ的な要素を非常に備えている映画だった。

 

 

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父子の和解

 

 インターステラーの元ネタといったが、もちろん共通項は、1)主人公がトウモロコシ畑を持っているが、そこまで農業は好きな訳でもないこと 2)父とその子供の和解の物語であるということだ。

 第二の要素が、いわずもがな物語の中核にあるだろう。

 レイ・キンセラは、自分の父が年老いるのを許さなかったとまで回想しており、年を取って自分の父のようになりたくないということが自分の葛藤だった。青春時代がヒッピー全盛期の60年代であったためなおさらだろう。彼は、どのようにその中年の危機から脱出するのか。

 もちろん、それは父との和解を通じてであろう。

 それは、テレンス・マンが、ジョー・キンセラを主人公に据えてかつて書いた野球短編からも分かる。その中で、主人公が使うバットには「バラのつぼみ」と書いてあったそうだ。『市民ケーン』で有名な「バラのつぼみ」だ。そこからも、なかなか解消されない父子関係が主軸になっていることが読み取れよう。

 しかも、和解の手段が「野球」を通じて、というところにアメリカ性なるものを感じる。野球というものは、昔からの国民的スポーツであって、アメフト・バスケ・アイスホッケーに市民権を脅かされる前からアメリカ人のこころを表象するものだった。それが出てくるのだから、ここにおける父子関係というのは、アメリカという国自体も指し示しているのだろう。(父か子かというのは解釈次第かと思う)

 さて、脱線したが、最終的にはシューレス・ジャクソンも、テレンス・マンも自分がこの野球場に導かれた理由が明確になり、残されたレイも自分が選ばれた理由が分かる。自らが救ってきた人々は、結局はレイのために働いてきたようなものだったのだ。

 個人的に好きなのが、ラストのキャッチボールシーン。ここでの、父子間でのキャッチボールは、直接言葉を介さずとも、意思疎通するための手段として描かれている。野暮に自分の感情を言葉にせずとも、自分の投げるボールに思いを乗せる様子が非常に印象的だ。

 野球場という場所は、他の米国的スポーツよりも、「奇跡が起こる場所」というイメージがあったりするものだ。その野球場は「天国」にすらなりうるのだ。


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おまけ:
個人的な深読みかもしれまいが、天の声を聞いて、頭を抱えるレイの娘が見ているテレビでは、ジェームス・スチュアートが大きなウサギの声が聞こえると言っている。これは、『ハーヴェイ(1950)』という映画らしい。要は、幻覚を見る男の話で、この時点ではレイにも適用しうる話だ。しかも、妻と野球場を作るかどうか話しあうところでは、何だか能天気な歌が背景に聞こえるが、あれは60年代に人気を博したバンド、ザ・ラビング・スプーンフルによる『デイドリーム』である。デイドリームは白昼夢の意で、解釈の仕様によっては、これは全部レイの妄想かもしれない・・・と取ることも出来る。(結局ファンタジーなので、そういう訳ではなかったが笑)