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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

【11月はノワール月間 #noirvember】④ 『甘い毒』(1994) 社会に負けないファム・ファタール

 (結末部分に触れています)

Last Seduction - film 1994 - AlloCiné

 原題はThe Last Seduction 、つまり「最後の誘惑」である。ただ、その直訳だとスコセッシの映画になってしまうので、『甘い毒』というタイトルに落ち着いたようだ。本作は日本で未公開で、ビデオスルーとなっている。

 本作はいわゆるネオ・ノワールと呼ばれるジャンルに属する作品で、ファム・ファタール(運命の女、魔性の女)ものである。ノワールにおけるファム・ファタールは、主に主人公の男性を自分の魅力でもって惑わせ騙すことで、自分の欲するものを得ようとする女性のことだとまとめることができる。しかし、多くの場合、彼女たちが生きる闇の社会では、そういった手段でしか生き延びることができなかったように思える。犯罪組織の中で地位を向上させるにも、その機会は男にしか用意されていない。周りの男たちに自由を奪われているため、今自分のいるところから逃げることもできない。ともすれば、彼女たちはその規範を攪乱させ、そこに生じる一瞬の隙を狙うことしかできないのではないか。この例は傑作『過去を逃れて』(1947年)を初めて見たときに痛感したことだった(またこの話は別稿で)。

 しかし、当然ながらヘイズ・コード(自主規制のルール)があったため、1940年代から50年代にかけて作られたノワールにおけるファム・ファタールも、大概の場合死を迎えるしかない。原則として映画は、悪行に手を染めた人間を生かしておけないのだ。

 ネオ・ノワールはそういった元祖(?)ノワールの定式を踏襲しつつも、ヘイズ・コードがない時代における映画には、名目上もう少し表現の自由がある。それゆえ、『甘い毒』における主人公ブリジットは、夫が麻薬密売で儲けた金を奪った後、別の町で別人として暮らし始める。しかし、夫に居場所がばれてしまったため、町の青年と画策して彼を殺害することを試みるが・・・。誘惑された男とファム・ファタールが、彼女の夫を殺そうとして、計画が崩壊していく様を描いた名作ノワールとして真っ先に思い浮かぶのが1944年のビリー・ワイルダー監督作『深夜の告白』(Double Indemnity)である。その証拠になるかどうかは分からないが、この映画において誘惑される男を演じるフレッド・マクマレイに、『甘い毒』で主人公の殺害計画に関わることになる男を演じるピーター・バーグが似ている気がする。そこは意図したところなのだと推測している。

 この映画を見て呆気にとられたのが、殺人計画は思った通りに行かないものの、結局は夫を殺害し、誘惑した男からも姿を消し、自分にとって毒になる関係性は全て絶っていることだ。警察にも逮捕されず、持ち逃げした大金で完全に独立した生活を送ることに成功している。上述したように、主人公が逆上した男に突然殺されたり、頭の切れる刑事に逮捕されたりしてもおかしくないのだが、本作では男性中心の社会を出し抜くのだ。

 そのテーマを象徴する場面として挙げられるのが、主人公がなぜここまでして夫を苦しめたのか、本人が語る場面だ。その理由は、夫が彼女に平手打ちを食らわせたから、なのである。ノワールではよく見る光景なのだが、女性としての尊厳を汚すような暴力を最後まで許さない、という毅然とした態度を彼女は取る。ネオ・ノワールというジャンルは、映画のルックスがノワールと大きく異なっているため、好きでない作品も多いのだが、『甘い毒』は、かつてのノワールが達せなかった領域に達している点でお気に入りのネオ・ノワールの一本である。