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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

【11月はノワール月間 #noirvember】①『ローラ殺人事件』(1944)  

Laura

 11月は #noirvember (noir+november) ということで先日オットー・プレミンジャー監督の『ローラ殺人事件』再見。noirvemberの提唱者でもあるMarya E. Gatesが米国ラジオ局のNPRのインタビューにて指摘するように、紛れもなくノワールでありながら、ファム・ファタールは不在で、いわゆる「死んだ美女の幻影に固執する男」パターンの原型でありながら、後続勢とは展開が異なっている。(以下ネタバレあり)

www.npr.org

 1944年の作品なので、「ネタバレ」というにはとうの昔に時効だと思うが、この映画はローラが「蘇る」ところから本格的に話が展開していく。それでいて、その事実が判明するのは本編の半分くらいのところだし、ローラが自分の家に戻って来る場面もロングショットで、割とあっけない形で描写していることも興味深い。この描写のチョイスは、ローラ本人からすれば、自分が都市部から遠く離れたところで結婚についてひとり考えた後、帰宅しただけだから、とも解釈できる。もちろん、ローラは「蘇生」したのではなく、ショットガンで頭を撃ち抜かれたのが体格も似た別の女性だったことが判明し、事件の真相を彼女の「幻影に魅了されていた」刑事が追求することになる。「死んだ美女の幻影」を巡るミステリーは枚挙に暇がないが、その代表格と言える本作は、そのような男の思い上がりを打ち砕く。ローラという一人の女性は、無力に殺されてしまうような悲劇の存在でもないし、権力を持った男性に頼らずに自らの才能で経済的自立を果たしたビジネスパーソンでもある。フラッシュバックの中で甘美な記憶として残るだけの女性ではないのだ。

 そんなローラと刑事は互いに惹かれあうようになるが、その後まもなく真犯人の正体が分かると同時に彼女の命にも危険が及ぶ。全てが解決に向かうラストシーンが素晴らしい。真犯人はローラを慕っていた著名コラムニストのライデッカーであった。彼の最後のあがきもむなしく、彼のショットガンは外れ、反撃する刑事の銃弾に倒れる。倒れる彼の後ろに見えるのが、ローラの肖像画(刑事が見入っていた絵画で、「幻影」の源でもある)だが、本当のローラを刑事の「腕の中」(ライデッカーから逃げてきた)で、本作はライデッカーが誤って撃ったその時計は彼からローラへの贈り物であり、もうそれは動かない。彼がコントロールしようと執着した時は永遠に止まってしまったのだ。