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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

『ブラック・ウィドウ』における楽曲「アメリカン・パイ」の意味

 『ブラック・ウィドウ』を見ていて、驚いたと同時に強い感銘を受けたのは以下の曲が回想シーンで使われていたからだ。

www.youtube.com

 『アメリカン・パイ』は1971年にアメリカのシンガー・ソングライター、ドン・マクリーンによるヒット曲である。フルバージョンだと8分半を超えるこの曲は、バディ・ホリーが飛行機墜落事故により命を落とした日、すなわち「音楽の死んだ日」(The day the music died)の記憶を中心として、1950年代から1970年代にかけて大きく変化していったアメリカの現代史を歌い手のパーソナルな視点から歌った曲である。
  では、なぜこの曲の意味は一体何なんだろうか?というところなのだが、その前にこの曲が重要な一曲として登場することになったきっかけをブラック・ウィドウの「父親」役アレクセイ・ショスタコフを演じたデイビッド・ハーバーのインタビューから確認したい。インタビューの内容をパラフレーズすると、まずベッドルームにてエレーナ(フローレンス・ピュー)とアレクセイとが話すシーンにおいて彼が、失敗した父親として「それでも俺は頑張ったんだよ(I tried)」と示すためにこの曲を使うのはどうか、と提案したという。そこから逆算して、国外逃亡を試みるショスタコフ家の車内で「エレーナの大好きな曲」として『アメリカン・パイ』を父がかけるという運びになったのだ。

www.insider.com

  そして、この曲が流れる中、高校のアメフトの試合の様子を横目に車が走っていく描。この描写には個人的に強く胸を打たれた。この曲に漂う「古き良きアメリカらしさ」と「それが失われていく物悲しさ」がこのシーンから感じ取れたからだ。

     

(↑の動画だと00:10~00:16)

 ScreenRantのジョーダン・ウィリアムズは、「『アメリカン・パイ』とは、エレーナがしがみつこうとしたが手元から離れてしまったアメリカン・ドリームのことを辛辣にも思い出させてしまうもの」と以下の記事で説明している。すなわち、この曲はアメリカの田舎町で束の間ではあるが享受することのできた、平和で満ち足りた「アメリカ流の生活(American way of life)」に別れを告げなければいけないことを物語っている。

screenrant.com

 そうは言っても歌詞の内容を全く振り返らないままではその意味も不明瞭なままだと思うので、『ブラック・ウィドウ』で実際使われていた箇所を中心に歌詞を見ていきたい。

 

Bye, bye Miss American Pie
Drove my Chevy to the levee but the levee was dry
And them good ole boys were drinking whiskey and rye
Singin' this'll be the day that I die
This'll be the day that I die

 

バイバイ、ミス・アメリカン・パイ

僕のシボレーで土手まで向かったけど、水は干上がっていた

それで馴染みの連中はウィスキーを飲んでこう歌っていた

「今日、俺たちは死ぬんだ 今日が俺たち最期の日だ」(拙訳) 

 

 以上の引用及び拙訳(字幕とはかなり異なると思います)はサビ部分の歌詞だ。歌詞解説サイトのGeniusによると、「ミス・アメリカン・パイ」とは「ミス・アメリカ」と"as American as an apple pie"(アップル・パイくらいアメリカらしい)という言い回しとを掛け合わせた造語だ。そして典型的な米国車であるシボレーの車(おそらくトラック)に乗って語り手は土手へ向かうが、そこではもう川が干上がってしまっている。これも「アメリカン・ドリームの死」と合わせて考えると、どうやら血気盛んな野郎どもがよく溜まり場としていた場所(とその繁栄の終わり)を表しているようだ。

 Geniusの力を借りて引き続き逐一フレーズを見ていこう。"Good, old~"は「古き良き~」と訳されるフレーズだが、この場合、"Good ole(old) boys"とは感じの良い南部の男たちのことを指すようだ*1。ここではひとまずノスタルジックな光景にいそうな男たちのイメージがここで付与されていると考えてもらうのが妥当だと思う。*2そして、その男たちは"this'll be the day that I die"と歌っている。

 ここだけ見ると若干唐突かもしれないが、これは上述したバディ・ホリーThat'll Be the Dayへの言及だ。もちろん、この曲のサビの部分は"this"ではなく"that"なのだが、彼の事故死を受けて、酔いが回った男たちが追悼の念を込めてこの曲を合唱している風景を描いているのだろう。

 『ブラック・ウィドウ』本編ではそのサビから1番のAメロが少し聞こえる程度で、曲全体の内容はわからないのだが、恐らくアメリカの観客ならそれ以上の説明がなくとも本作が言わんとするところを感じ取れるのだろう。「アメリカン・パイ」は1960年代の夢が夢のまま終わってしまったことに幻滅した後のアメリカを描いているので、全編を通して聞いてみるとかなりほろ苦い印象が残る。それでも、アメリカへの感情が完全に死んでしまった訳ではない。たとえショックであろうと青春の思い出を何度も語り手はサビを歌うことで反芻し、回想すると考えるなら、「死」というモチーフに対峙しつつも、語り手は「あのアメリカ」を惜しむことで、自らを癒していくのだろう。そういう意味でやはり「バイバイ、ミス・アメリカン・パイ」なのだろう。*3

 そして、肝心のあのシーンである。最終決戦の前に、物語上あまり不自然にならない形で挿入された『アメリカン・パイ』を「父親失格」のアレクセイが口ずさむ。エレーナが好きだったその曲をちゃんと「一度は失敗したが父親として赦してほしい」アレクセイが覚えていた。それにエレーナも若干心動かされたのか、彼女も共に歌いだす。ただし、"This will be the day that I die" と親子で歌うところで二人は急襲される。ここはもちろん二人が本当に死ぬかもしれないということを暗示というか、半ば直接的な形で表現していたと言え、少し悪い冗談のようなものとして使われていた。結末部分に少し触れてしまうかもしれないが、エレーナはたしかに死と隣り合わせの人生を送ってきており、姉のナターシャと再会してもその状況は変わるどころかむしろより危険になっているのだが、それでも全く死ぬようには思えなかった。やはり無敵であった。

*1:一応南部の、と書いたがもう少し全般的に捉えても問題ないような気はする

*2:whiskey AND ryeだとどちらもウイスキーなのでは?と思われるかもしれないが、これはアメリカにおけるウイスキーの主原料がトウモロコシだからだそうだ。そして、ライ麦から製造したウイスキーはシンプルにryeと表現するためwhiskey「と」ryeということになるようだ

*3:ちなみに、第二次世界大戦後のアメリカ社会についての曲であるということは当然冷戦の言及も多いということを意味する。そういう意味でも「アメリカに住んでいるソ連生まれの少女」が好んで聞くチョイスとしてはなかなか興味深い