[PR]カウンター

アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

「ずっと家でも書けへん」!という書かれた悩み

 

 どうやら作家による「コロナ禍日記」が世界的にも一種のパターンになっているようだ。色々読んでいて、当初は自虐的というか、自分を責めるような文章が結構多くて、状況の深刻さを物語っていたが、今はもう少し客観的に自分の生活を見つめなおし、そこにある程度のユーモアをまぶす余裕が物書きの間にも増えてきた印象がある。

https://lrb.co.uk/the-paper/v42/n14/patricia-lockwood/diary

 こういう日記の中でよく見かけるのが、「ずっと自宅なのに全然原稿が書けない」という悩みを明かしている記述だ。シェイクスピアなら戯曲1つ書き上げてしまった、とかいう例がちょいちょい出てくる。比較対象がそもそも間違っていると思うが。

 ただ、日記という形式の原稿としてそういった悩みが詳細に語られている時点で、少なくとも何かは書けてしまっている。しかも、それはそれで結構読んでいて興味深い内容になっていて、十分書けてるやん・・・というツッコミ待ちの状態で世に出ることになる。まあ映画の例だと、フェリーニの『8 1/2』は映画が作れないことに関する映画だったし、チャーリー・カウフマン脚本の『アダプテーション』は、脚色(adaptation)が上手く行かない脚本家の話、というメタなジョークが過ぎる話だった。

 本当に書けない人の悩み---つまり、ツイッターで投稿すらしないような悩み---は、多分全く可視化されることなく、「書けへん!」という饒舌に言語化された悩みの下にひっそりと存在しているのだろう。