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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

ジュディの助手から、ジュディ以上の存在へ:『ワイルド・ローズ』

Wild Rose [DVD]

 

 今年はとても音楽映画が豊作だ。『ティーン・スピリット』、『ジュディ』、『ポップスター』、『カセットテープ・ダイアリーズ』、そして本作『ワイルド・ローズ』主人公(ジェシー・バックリー)は、刑務所帰りのシングルマザーとして、二人の子供を育てる必要がある一方で、ナッシュビルに行ってカントリー歌手になる夢を諦められない。

 ジェシー・バックリーは、『ジュディ』では、ジュディ・ガーランドのロンドン公演のアシスタント役として出演していた。その時はおとなしく冷静で、ジュディのような手の焼ける人間の世話をすることに必死だった。その彼女が、今度はジュディのように*1、抜群の歌唱力は持っているのだが、自暴自棄になるほかないような生活から脱却できずにいる。『ジュディ』において、主人公に救いの手を差し伸べてくれるのは、母国アメリカではなく、イギリスの観客であった。彼女は子役時代から自分のことを酷使し続け、今や安いギグくらいしか提供してくれないアメリカのエンタメ産業には辟易としていたはずだ。海の向こうにこそ自分を理解してくれる音楽的土壌があり、希望があるのだ、という映画だったと解釈している。

 『ワイルド・ローズ』の場合も、やはり海の向こうに希望を見出す歌手の話である点は同じだろう。ただ、彼女にはそもそも地元のカントリーバーで長年歌ってきたが、堂々たるキャリアがない。さらに、グラスゴー、いやイギリス中でもカントリー音楽を知る者は自分(とBBCラジオのDJボブ・ハリス)しかいないという自負があり、あまり自分の周りが見えていない。実際のところ、カントリーの街としても知られるグラスゴーの潜在性をあまりにも低く見ていることが、ボブ・ハリス本人との会話で明らかになる。そこで彼に「君に歌唱力はある。でも、君の伝えたいメッセージは何?」と聞かれて、言葉に窮する。

 本編の終盤、彼女は実際はるばるナッシュビルまで行くが、自分のような夢を持って本場で成功を渇望している人間は全世界中に余るほどいることに気づいてしまう。今、自分の周りにいる大勢の観光客と、自分とがほとんど変わらないことを理解する。そこで、帰国した彼女は後に自作曲を地元のステージで歌うことになる。楽器も弾いていないし、伝えたいメッセージもなかった彼女が、とうとう自分のメッセージを見つけたのだ。『ジュディ』と本作との共通点について少し先ほど触れたが、この主人公の自作曲では「グラスゴーには黄色いレンガの道にはないから」、「我が家に勝るものはない」という一節がサビにある。これはまさしく『オズの魔法使い』からの引用である。

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 これは余談だが、皆他の国の音楽に憧れ、むしろその国に生まれたかったと心から思っている主人公は本当に多い。本作の彼女が、ナッシュビルに憧れている一方で、例えば『シング・ストリート』の、主人公たちは、母国アイルランドの海の向こうに見えているイギリスから次々と生み出されるポップスが近いはずなのにとても遠く感じてしまう。『17歳の肖像』の主人公も、心はここにあらず、フレンチ・ポップスが流れるパリにある。それに、ロックンロール発祥の地はたしかにアメリカかもしれないが、そのロック音楽の可能性を大いに広げたのは、エルビスで育った、イギリスのバンドたちだった。常に「隣の芝は青い」のだろうか。

 

*1:日本ではジュディの方が劇場公開は先だったが、本国イギリスでは反対だったようだ