[PR]カウンター

ポークとビーンズ

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

コロナ禍におけるアメリカのテレビ番組とポッドキャスト 

 このブログは主に映画についての記事がほとんどであるが、最近だと映画鑑賞と同じくらい、あるいはそれ以上の時間を恐らく海外のポッドキャストを聞くことに費やしていると思う。

 ラジオ好きなら理解してもらえると思うが、何かをしながらちゃんと楽しむことが出来る、という点がかなり大きい。映画だとスクリーンの前にずっと座っていないといけないし、視覚と聴覚の両方を映画の方に完全にゆだねないといけない。ポッドキャストだと、何か機械的な作業をしている間でも聞けるし、外を歩いていても聞ける。しかも、基本的にポッドキャストというものは無料でダウンロードできることが前提条件になっている。

 このような理由で普段から結構ポッドキャストを利用しているのだが、COVID-19の世界的感染拡大により、メディア業界も大々的かつ代替的な適応を迫られている。例えば、アメリカの人気コント番組サタデー・ナイト・ライブでは、出演者がZoomを使って、コントをするようになった。この特別な形式で3回放送を行ったのだが、1回目の放送は相当ぎこちないものだった。誰もどうしたらいいのか分からない感覚が、皮肉や風刺ではなくかなり直接的に伝わってきた。それから恐らく制作側もこの形式に少しずつ順応できるようになり、番組の精度はかなり上がっていったように思うが、それでも一種の限界が露呈するような試みだった。

 その日のニュースをジョークを交えて振り返ったり、著名人を招いて話すトーク番組も、司会者は自宅から出演している。これもスタジオからの笑い声があるかないかの差は相当大きく、ジョークを言った後のぎこちない間に、観ているこちらも未だに慣れない。(その反面、海外youtuberはこの手の動画の雰囲気をどう作り出すか、十分に心得ている)それだけテレビというメディアは、常に何かしらの動画を見せ続けないと(紙芝居のようにスライドだけ見せられたら興ざめだろう)番組が成立しないという事実に改めて気づかされる。

 その反面、アメリカのポッドキャストは音声メディアであるという特性からか、まだこのパンデミックにうまく適応できている感はある。そもそも番組の形式上インタビューを遠隔で行っていたり、複数の出演者が別の州で同時に話していたりする場合も結構ある。あと、先述したように音声だけなので、自宅を見せる必要もない。もちろんほとんどのポッドキャスト番組が、いかにこのグローバル的危機により、制作が困難になっているのかについて詳しく説明しているが、音声メディアの持つ柔軟性ないしその強みを再自覚する機会になったと思う。

(なおこの投稿で言及しているポッドキャストとは、基本的に公共ラジオ局の制作している番組に限定している)