『愛がなんだ』をようやく見た。これは屈指のビール映画なのではないか。そもそもそんなジャンルはないことは重々承知の上だが。
主人公田中テルコは金麦(350ml&ロング缶)、マモルはプレモル、ナカハラはエビス(缶&瓶ビール、画像なし)、例外的にすみれは主にワイン。
これだけで、例えばすみれが一番お金には困ってなさそうな(というか気にしてなさそうな)感じが自ずと伝わってくる。テルコとマモルは話し相手もいない中結婚式の二次会でちびちびワインを飲んでいたところ意気投合して、二人で一緒に大衆居酒屋で朝までお酒を飲むような関係になったのに、すみれが出てきてから、またテルコは再び気まずい中ワインを飲む状況に置かれるようになったことになる。勝算のないマモルも同じ「ほろ苦い酒」を飲んでいるだけにすぎないのだが、本人はまだそれに気づいていない。
金麦を終電がなくなったあとの夜道でも、家でも、仕事を辞めた直後の公園でも飲んでいるテルコは、人にお酒を買ってあげるときはきちんと銘柄を考えている。ただ、人に買う酒(マモちゃんに買うプレミアム・モルツ、あるいは葉子の実家に持っていった大吟醸の日本酒)を常備しておくほどの経済力はないのかもしれない。会社員を辞めてしまうので、より一層経済状況は厳しいのだろう。
そう考えると、テルコの友人である葉子は周りに提供してもらうビールばかり飲んでいる。テルコの自宅の金麦、あるいはナカハラに買ってこさせたエビス。食べ物はテルコによくお裾分けしているが、いつもそれは母親の作った料理だ。飲食の面で何の不自由もしていないが、自分特有のビールが割り振られていない。この設定の意味は決して軽くないのではないか(自らのアイデンティティが定まっていないことを含意している?)。
※ちなみに金麦は厳密にビールではないのかという指摘もあるかもしれないが、あくまで広い意味でのビールとして捉えている。