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ポークとビーンズ

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

2020年 2月 鑑賞録 (長回しなどについて)


‣残念ながら劇場公開はなかった『アンカット・ダイヤモンド』(英:Uncut Gems)、MBA選手や歌手に本人役を演じさせる贅沢な映画であると同時に、70年代のNY犯罪映画を想起させるようなひりひりとした街の「危なさ」が随所ににじみ出ている。バスケ賭博を山場に持ってくるような映画なので、見ていて大変胃が痛い。

‣『ナイブス・アウト』、ジャンルのお決まりを捻るのが巧いライアン・ジョンソン監督による傑作ミステリー映画。同監督による『ブリック』が完全にハードボイルドものの展開をしていながら、主要人物は全て高校生という異色の傑作だったなら、また『最後のジェダイ』は、ルーク・スカイウォーカーの過去を『羅生門』的語り(語り手それぞれの話が食い違う語り)でもって明らかにしていく作品だったなら、この作品はアガサ・クリスティー原作の映画群をアメリカを舞台に変更した正統派ミステリーだと言える。(こう考えると、ジョンソンがなぜあそこまで奇怪なスターウォーズを作ったのか、その理由が少しばかり説明ができると思う)

‣『ハスラーズ』、なかなかどんな人にでも勧められる映画はないように思うが、今年だとこの映画を選ぶと思う。『グッドフェローズ』とつい比べてしまいたくなる気持ちがあるのだが、そんな陳腐な比較をはねのけるほどのエネルギーに満ちた映画だと思う。
 印象に残ったのは、登場人物の歩行を長回しで捉えたシーンだった。主人公が初出勤日にストリップクラブの中を歩く冒頭のシーンは、本編の基本設定を分かりやすく画で見せるだけでなく、彼女本人がうまくここでやっていけるかという不安が継続していく様を見せるシーンでもある。また、主人公が学校に娘を送り出すところでも、本人の強烈な身なりのせいで、周りから白い目で見られる。姉御肌のラモーナがATMに歩いていくシーンも長回しなのも、本作を観た人ならその必然性がわかるだろう。長回しであるがゆえに、我々もその場から抜け出すことが出来ない居心地の悪さを共有することになる。

‣『1917』と『ロングデイズ・ジャーニー』、両作とも「長回し」がよく話題に上る映画ではあるが、当然その意味は大きく異なる。

‣『1917』の長回しが持つ効果は、もちろん没入感や、上述したような「抜け出すことが出来ない」感覚をもたらす。それらに加えて指摘しておきたいのは、脚本を巡る制約だ。全編が疑似ワンショットの本作は、すなわち一直線で語りきらなくてはいけない物語である。それゆえ、野暮な回想シーンや、本筋を混線させるような、主人公以外の人物を中心に据えるシーンを必然的に廃する脚本が要請された。この点は本作を語る上でかなり大きい点だと思う。

‣『ロングデイズ・ジャーニー』の長回しは、『1917』と比べると実はかなり制約を取り払ったかのように思えた。何せ空を飛んでみせるのだから。

 

 

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