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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

階段映画『下女』#3

『下女』はポン・ジュノ監督もインスピレーションとして挙げている「階段映画」だ。日本語字幕付きの全編をYouTubeで見ることが出来る。
 

    「下女」では、中産層の家庭に下女が入り、住み込みで働く。下女は夫を誘惑して関係を持ち、妊娠する。周りに知られて職を失うことを恐れる夫婦は、下女の言いなりに。下女が2階に暮らし、妻は1階で下女のように働くという立場の逆転が起こる。映画の中で起こる多くの事件は階段が舞台だ。

 一方の「パラサイト」は、さらに進化したとも言える。「ネタバレ厳禁」のため、詳細は書けないが、「パラサイト」の階段は家の中に留まらない。小高い高級住宅地に住むパク社長(イ・ソンギュン)一家とは対照的に、 パク社長の娘の家庭教師になるギウ(チェ・ウシク)の家族が住むのは土地も低く、大雨で浸水するような半地下だ。

ポン・ジュノ監督「パラサイト」とキム・ギヨン監督「下女」に描かれた韓国社会の「構造」:朝日新聞GLOBE+

 
たしかに『パラサイト』は階段のモチーフを拡張させていると考えられる。また、『下女』における「階段」もたしかにシンプルな舞台装置ではある。しかし、そこに込められる意味合いに関してはもっと様々な指摘が出来るだろう。
 
具体的に言うと、二度の階段での転落が作品内で大きな意味を持つことになる。階段での悲劇は当然だが、一旦上らないと起きない。「上昇」は一種の「転落」の前段階ともなりえる。この構造が持つ意味とは、2階に上がってしまうことはたやすいが、それに対して「処罰」を他の人物から課せられる可能性が生まれるということだ。上昇しても、地上から離れてしまうことで自らの安定性を失うこととなり、最悪の結果が生じうる。
 
『下女』の場合、観客は多大なる恐怖を覚えるかもしれないが、さらなる外の枠組みが用意されているがゆえ、緊張は半強制的に緩和されてしまう。その一方で、『パラサイト』の場合、何を見ているのであれ、そこから安易に開放されるようなことはない。