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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

『アイリッシュマン』短評

 

端的に言えば、期待以上の出来だったし、今年のベスト級の映画だ。この映画は、スコセッシ監督が生み出してきた一連のギャング映画に一つの重厚感ある終焉をもたらした作品だと思うのだが、それはもちろん既に多くの映画評で指摘されていることだ。

前半の軽妙な『グッドフェローズ』的な展開の仕方を見ていると、ラスト1時間の展開との落差に驚かされると同時に納得もするだろう。ここにスコセッシの変化し続ける監督魂のようなものを感じた。得意なギャングものは何本でも撮れるだろうが、今までのようなものを作り続ける気はさらさらないことが伺える。たとえば『ミーンストリート』や『グッドフェローズ』から、『カジノ』あるいは「金融界のヤクザ」ものである『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に行っても、また『グッドフェローズ』的テンプレートに戻るだけのような真似はしなかった訳だ。

 

 

 

補遺:

『ジョーカー』の監督、トッド・フィリップス(忘れてはならないが、そもそも彼がこの映画を撮れるようになったのは『ハングオーバー』シリーズで大成功を収めたからだ)が、スコセッシ作品を崇拝していることは既に多くの場所で取り上げられているだろう。それゆえ『ジョーカー』はスコセッシの『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』の多大なる影響下にある。フィリップスが70年代、80年代のスコセッシ過去作に拘っている間に、当の本人は自分の過去作を踏み台にして化け物のような作品を作り上げた。そもそも、スコセッシが「アメコミ映画はシネマではない」といった発言をして、メディアは大騒ぎしたい訳だが(正直マーベル映画に出ている俳優たちにこの発言についてコメントを求めるのはもういいのでは。真面目に憤っている人間は特にいないと思う)、間違ってもこれを新旧世代の対立として見てはならない。スコセッシほどの巨匠がNetflix用に映画を作っている事実、そしてその映画に大幅なCGによる若返り加工を施された俳優たちが演技している事実を考慮すれば、2019年現在、彼ほど時代の潮流に流されずに最前線で映画を撮り続けている人間も少ないのではないか。そんな彼が大ヒット中のアメコミ映画に大きな影響を与えたといえるならば、彼の活躍ぶりはなお注目すべきではないか。