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ポークとビーンズ

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

テラスハウス私論ー軽井沢編再始動を記念して

 テラスハウス軽井沢編の最新話が、今日Netflixで先行配信されました。Netflixの映画やドラマはジャンルを問わず広く見ていたつもりでしたが、この番組だけはどうも共感できる気がしなかったので、少し敬遠ぎみでした。
 ところが、最近薦められて軽井沢編を見始めたところ、見事にハマりました。軽井沢編だけですが、2週間くらいで追いつけたと思います。たしかに一種の恋愛バラエティという前提で観るのに躊躇する人はいるかもしれませんが、この番組を引き立てるものとして個人的に大変好きなのが、独特の多重構造です。ざっとリストアップしてみると、こんな感じになります。

(内枠 = 番組本編)
第一層:テラスハウスでの記録映像
第二層:副音声を含むスタジオの反応(=「批評」)

(外枠 = 番組本編外のコンテンツ)
第三層:Youtubeの未公開映像
第四層:個人のインスタ等、出演者のSNS

 第一層では、テラスハウスの住人たちが生活している様を淡々と見続ける訳になりますが、副音声オンで展開する第二層での多声的な反応により、僕のような「テラハ初学者」でも当番組の見方を少しずつ学習できます。
 もちろん視聴者も単なる傍観者としてとどまり続けることは出来ません。出演者の一挙一動を巡る是非が差し込まれていき、スタジオでのキラーフレーズ連発の「批評」が展開していくことで、視聴者もテラハ的世論なるものをイメージし、ネットでも共有していくことになるのです。

 Youtubeの第三層では、知られざる(というか、編集上カットされた、あるいはあえて残しておいた)映像が各話ごとに用意されていて、各出演者の認識を変える、または反転させてしまうような情報を発見してしまうことがあります。第一、二層でほぼ固まりつつあった出演者の認識が実は十分な情報に基づいていなかった、換言すれば、「私たちは彼ら、彼女らのことをあまり分かっていなかったのでは?」と思い知らされることもあります。

 そして第四層のSNSでは、出演者のテラハライフを垣間見ることが出来ます。そこでも本編を見る限りでは知りえないような生活の一部が展開しており、また本編の配信と実生活とは数週間もの時差があるので、今後の展開を推測するヒントとなりうるかもしれません。軽井沢編は今年の12月で終わりを迎えるそうですが、複雑に絡み合う21世紀のメディアを介して展開する重厚な人間模様に注目していきたいです。