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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

オールド・ボーイ(オリジナル)は実は・・・・・・の変奏曲だった!

(ネタバレ注意!!)

 日本のマンガを原作とした、韓国発の衝撃作・・・とでも言えば、いいだろうか、この映画はご存知の方は多いと思うが、見る者に強烈な印象を与え、不快感を押し付けることも辞さない映画だ。

  この映画の魅力的な点をいくつか挙げるとするなら、まず脳裏に浮かぶのは、圧倒的なアクションシーンあるいは、暴力描写だろう。金槌一つで、敵をがんがん殴ってなぎ倒していくシーンや、歯をペンチで抜くシーン(ダスティン・ホフマン主演『ラソンマン』でも類似するシーンがある)は、忘れたくともなかなか忘れられるものではない。

 次に思い浮かぶのは、やはり、クライマックスで明らかになる衝撃の事実であろう。復讐に復讐が重なったことが、非常に醜い結果を生むことになった。

 このように、アクション及びプロットの面で、かなり濃密な映画にはなっているが、ここで話が終わる訳ではない。この映画は重層的な構造を持つ。先述した内容で、そのレイヤーの表面ははがされたが。まだ、その下に残っているものがある。

 

 端的に言えば、それは、ギリシャ神話の英雄、オイディプスである。

 この映画に関係する粗筋だけについて言及するが、エディプス、あるいはオイディプスとは、「父親を殺し、母親と結婚する」という神託を受け、それを避けようとしたものの、結果神託通りの行動を取ってしまった悲劇の英雄である。彼は、生まれながらにして、自分の父に、「息子に殺されるという予言を受けたから」という理由で捨てられてしまう。それゆえ、オイディプス本人は、両親の顔を知らぬまま育つことになり、ある日、一老人を父と知らずに殺し、実の母と結ばれ、子どもまで設けてしまう。

 その事実が発覚し、彼は自分の両目を潰し、娘のアンティゴネとともに歩廊の旅へ出る。

 

 この神話が、オールド・ボーイと見事なまでに対応しているのだ。

 

 (ちなみに、このことは宮台真司氏の著作『世界はそもそもデタラメである』を読んで、初めて知った。 本文は、それを補足する形のものである「世界」はそもそもデタラメである (ダヴィンチブックス) )

 例えば、オ・デスという名前自体、オイディプスの略称になっている。

 また、オ・デスが意図せずして、全ての黒幕のイ・ウジンと彼の姉との関係を、告げ口してしまったことは、オイディプスが意図せずして父を殺してしまったことに対応する。

 そして、オ・デスが、知らずして実の娘と関係を持ってしまったのは、オイディプスが知らずして実の母と結ばれたことと対応している。

 最後は、自分の娘とまた放浪することになる。まさしくオイディプス神話である。

 マンガの原作ではなかった「知らずして犯してしまった近親相姦」というかなり重いテーマが本作にあるのは、ギリシャ神話からそのテーマを引用してきたからであり、それにより、単なる復讐劇から、入り組んだ関係が生んだ悲劇と変貌を遂げている。

 

 ただ、オイディプス王の運命は、実は以下のようになっている。そこから、オ・デスのその後に関して想像して頂きたい。

 あれから長い月日がたった。当然オイディプスは苦労を重ねたが、その苦しみのおかげで、神の目に彼の罪は贖われている。人間界では疎まれても神には愛され、奇跡に満ちた死によって神の国に迎え入れられる。(大学教授のように小説を読む方法:トーマス・C・フォスター著 P.230)

 

参考:

「世界」はそもそもデタラメである (ダヴィンチブックス)

大学教授のように小説を読む方法