[PR]カウンター

アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

ディパーテッド徹底解説・分析

 観る機会を逃がしてばかりで、ようやく今日観ることができたマーティン・スコセッシ監督による『ディパーテッド』。香港映画のリメイクということだが、アイリッシュ・マフィアvs マサチューセッツ州警という見事な犯罪映画になっている。

 

ディパーテッド [Blu-ray]

ディパーテッド [Blu-ray]

 

 

 かなりの有用な情報は、町山智浩氏のパンフ原稿に記されている。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/searchdiary?word=%A5%C7%A5%A3%A5%D1%A1%BC%A5%C6%A5%C3%A5%C9
 それをベースにしつつ、この映画の他の要素にも言及していく。

 1)米国でアイルランド系であるということ

 日本人からすれば、アイルランド系と言われても、彼らのイメージについてピンとこないだろうが、彼らは、白人の中の黒人と称されるほど、アメリカ国内でも白人の中で地位の低いマイノリティである。なぜかというと、彼らが「遅れてきた人間」だったから、である。

 彼らがアメリカに渡ってきたのは主に18世紀から19世紀(産業革命時)にかけてだ。そのころにはもちろん、アングロ・サクソン系(要はイギリス系)がアメリカの中心にいた訳で、後発移民のアイリッシュは、宗教の違いもあり(アイルランド系はカソリックだが、アングロサクソンは、プロテスタント)、迫害も受け、貧困状態に置かれた人間も少なくなかった。彼らの住むところはスラム化していった。それゆえの集団犯罪である。

 ちなみに、スコセッシ監督はイタリア系。イタリア系も後発移民であったので、マフィアを形成し、自らのコミュニティを守っていくこととなるが、彼らはアイリッシュよりも一足早かった。それゆえ、イタリア系とアイルランド系との軋轢は激しかったと言われる。

 それを踏まえると、今回登場するギャングのリーダーがアイリッシュ系なのも分かる(冒頭のジャックニコルソン扮するフランク・コステロの語りは、いかに社会的に下位にあったアイリッシュ系がのし上がってきたかについてだ)

   レオナルド・ディカプリオ扮するコスティガンが在監中に流れる曲は、I'm Shipping to Bostonというアイリッシュ・パンクバンド、Dropkick Murphysによるものだ。

 2)Xマークの謎

 これは映画を観終わってから気づいてハッとすることなのだが、この映画では、「最終的に死ぬ運命にある登場人物の背後にXマークが見られる」のだ。

6 Mind-Blowing Easter Eggs Hidden in Famous Movies | Cracked.com(←このリンク先の写真を参考にして頂きたい)

 証拠に、Xマークが見られない、マーク・ウォルバーグ扮するディグナムが唯一生き残る。(余談だが、彼は本当に若いころアイリッシュマフィアの一員だったそうだ。彼が生き残るのも訳ないか・・・)

 これはハワード・ホークス監督のギャング映画『暗黒街の顔役』(1932年)へのオマージュ(ブライアン・デ・パルマ監督『スカーフェイス』(1983年)はこの映画のリメイク。証拠に原題は両者ともScarfaceだ)探してみると、Xマークだらけの映画なのだ。

 3)マドリンに宿された子どもは誰のだ?

 町山氏の指摘にもあるように、マドリンは、「マグダラのマリア」のことである。

”マドリンという名前はマドレーヌと同じく「マグダラのマリア」を意味する。スコセッシの『キリスト最後の誘惑』で、マグダラのマリアはキリストの子どもを生む”

 

 ただ、マドリンのお腹の子どもの父は誰なのか?この物語では登場人物のセリフから直接の確証は得られないが、映画を見た人なら、コスティガンだと推測するだろう。

 第一の理由は、サリバンは恐らく性的不全だったことだ。うかない顔をしているサリバンに向かって、マドリンが、「他の男の人にもあることよ。大したことじゃないわ」と言っているシーンがある。これは恐らくサリバンが性的不全であることがその前の晩に判ったということだろう。(『俺たちに明日はない』(1967年)でも、クライドの性的不全が発覚する場面があるが、それをセリフでそのまま言ってしまうことはなかったのと同様だろう)

 その後、マドリンが自分のお腹の中にいる赤ん坊の写真をサリバンに見せるシーンがあるので、最後までサリバンは不全であったとは言い切れない。

 ただ、サリバンが、コステロと会うところを成人映画上映中の劇場に設定していたり(恐らくこれは『タクシードライバー』(1976年)への自己言及だろう)と、自分の男性性をあえて確認するような場面が見受けられる。

 第ニの理由は、実は、サリバンとマドリンのベッドシーンは一度もないが、コスティガンの場合、あるということだ。そのときにマドリンは妊娠したと考えると説明が付く。

 第三の理由が、一番わかりやすい。サリバンが、コスティガンの葬式後、マドリンを見つけてこう言う。「あの赤ん坊は?」

 彼女は彼に一瞥もくれず、黙ったまま去っていく。これは明らかに『第三の男』(1949年)の有名シーンへのオマージュである。

 親友ハリーの恋人だったアンナのことを今はもう愛してしまったマーチンスは、ハリーの埋葬後、アンナを待つ。しかし、彼女は彼の方には全く目もくれず、去っていく。

 三角関係の中の人物関係が『ディパーテッド』では変わっているものの、これは、マドリンとサリバンとの永遠の別れを意味する。マドリンは、死んでしまったコスティガンが忘れられないのだ。アンナが、ハリーのことを結局忘れられないのと同様に。

 話を戻すが、サリバンの疑念は正しかったのだろう。ウソをついていたのは、サリバンのみならず、マドリンもそうだったようだ。

 (コメント、リクエスト等ございましたら、ご気軽にTwitterの@ykondo457までどうぞ。)