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サブカルを真面目に分析するのが成り立ってしまうわけ

最近始まった話では決してないんですが、どうも何で漫画とかアニメとかを大真面目に分析して、日本文化の構造を解明したがる批評家がちらほら見受けられるのかなぁと、割とよく思います。

というのも、最近『ゼロ年代の想像力』という宇野常寛氏の著書を読んだからなんですが。この本自体に関して言えば、大変面白く読ませてもらいました。

ただ、批判としては、「そんなもん、作者が書こうと思ってやったことじゃねえよ!でたらめ言うな!」といえてしまうところがあったりするのでは?

 

例えば、エヴァンゲリオンセカイ系の完璧な典型例だとかいう論説がありますが、「そんなのたまたまだし!」と言えてしまうような気がしてならないときが個人的にはあります。

しかしながら、結構これでまかり通ってしまうようです。

それには、一つは精神分析という”学問”の存在がどうも大きいよう。

ご存知の方は読み飛ばしていただいて結構ですが、フロイトという心理学者は、西洋の学者としては、画期的な「無意識の発見」を提唱しました。要は、人間は、意識できてないところで、色んな影響を受けている・・・という一種の仮説です。夢を一つみたとしても、それが子ども時代のトラウマ的経験がベースになってるとか、抑圧してきた欲求の表象なんだ、とか言えちゃうわけです。

つまり、ある作品に関する指摘を「そんなのたまたまだし!」と言っても、その作品が実は無意識の内に、過去に見聞きしたものを反映させてつくったものだったりする可能性がある以上、「たまたま」だと言い切れないところがある・・・恐ろしいですね笑 

あとは、「たまたまだったからといって、その作品自体の価値は下がらない」ということがどうも批評の世界では言えてしまうらしい。

要は、その作品が、それだけのことを言えるだけの潜在性を持っているということになれば、大いに素晴らしい作品になりえてしまうということです。

不思議かもしれませんが、サブカル批評というものは、そういった大前提の上に成り立っているようです。