SFというジャンルは、奇抜な設定が可能なゆえ、人類全体レベルの大きな問いを投げかけることのできるものだと言える。「人はいかに生きるべきなのか?」「人間が進化するということとは?」といったような哲学的命題を観客に投げかけるのは容易であろう。
ただ、「哲学的問いに満ちた映画」だからといって、SF映画は面白くなるのだろうか?
いきなりだが、脱線させてほしい。まず、名作といわれるが、壮大で深遠な問いを投げかけるものではない映画を考えて見たい。
例えば、STAR WARSシリーズは、銀河レベル(人類レベルをはるかに超越してしまっている)のサーガであるが、そのテーマのほとんどは、非常にパーソナルなものだ。
スターウォーズは、父子関係というかなり個人的な問題に収斂することが出来る。あんなにデカイ話をしているのに、すごく監督ジョージルーカスの、父親に対する個人的思いがにじみ出ている。
エピソード5で明らかになるように、(一応ネタバレですかね?笑)
ルークは、自分の父がダース・ベーダーであることを知る。最終的にはルークは、父のようにダークサイドの道に堕ちることはなく(旧3部作において、彼の服装が、白→灰色→黒になるように、実はルークの心の闇は大きくなっていたという解釈が出来る)、父を破る。そのまま殺してしまうのは酷なので、息子を救うために父は命を落とすことになるのだが。ルークは父と(お前が俺の父ちゃんだと!?認めんわ!という問題)問題を解消し、父を乗り越えた息子として、成長を果たすことになる。
新3部作も父子関係の話である。アナキン・スカイウォーカーに父なんていなかったのでは!?という反論ももちろんあろうが、彼にとっての「代理」の父は、マスター・オビ=ワン・ケノービだ。エピソード1で、アナキンとケノービの師弟≒父子関係が構築し、エピソードで関係がこじれ、エピソード3で、互いへの感情のズレが、最大値に達し、二人は決闘する。もちろん、父と和解することも、乗り越えることもできなかったアナキンは、片足と片腕を失い、瀕死の重傷を負う(感情の爆発も伴った戦いなので、もちろん舞台は全体がマグマだらけの惑星だ)
(一応、エピソード4でベーダー卿はオビ=ワンを倒すが、既に時は遅し。ベーダーは成長するのが遅すぎた)
(続く→
SF談義 深くて面白い映画って?(後編) - アメリカンにアメリカ映画を観る!)
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