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アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

本当は怖い『ナーズの復讐』~映画における「オタク」と「ミソジニー」

 しばらく前に作った本ブログ内のカテゴリーで「愛すべきおバカ映画」というものを作っていたが、今の自分にはこの映画をそのカテゴリーには到底入れられそうにない。

 80年代に量産されたアメリカの学園ものコメディ映画の中に、『ナーズの復讐』という作品がある。前からタイトルだけは聞いたことがあって、気になっていたので、ケーブルテレビのザ・シネマで録画視聴した(今日本では配信でしか観られないそうだ)。

 

 この映画の背景説明に関しては、ライターの長谷川町蔵のコラムに詳しいが(見事な展開を見せるコラムになっているのでぜひ一読を勧めたい)

www.thecinema.jp

 字幕で終始そのまま「ナーズ」と形容されている男子たちは、日本語の「オタク」が近い表現だと思うが、とにかく彼らの社会的地位は底辺だ。コンピューターも普及していない30年前の話なので、彼らは、今の日本における「オタク」とはまた違う次元の軽蔑的な扱いを高校時代まで受けてきた。そんな彼らが大学に入って、女性にもモテる(かもしれない)生活を送ろうと胸を躍らせていた矢先、体育会系の連中に(ジョックスと呼ばれる)に蹂躙される日々が始まる。当然ながら女子にも相手にされない。

 最終的には「ナーズ(nerds)にも人権を!」とクイーンの名曲「伝説のチャンピオン」をバックに声高に唱えるナードたちなのだが、単刀直入に言えば彼らが物語の前半で行った性犯罪は完全に無視されたままだ(上の長谷川コラムにあるところの「今では犯罪認定のエロいギャグの数々」)。

 これはどういうことなのか、少し未見の人に説明したい。

 タイトル通り、オタクたちは復讐を果たすのだが、まず狙ったのは自分たちをバカにしてきた友愛会(女性の社交クラブ、ソロリティ(sorority)と呼ばれるもの)の女子たちだった。オタクたちは何をするんだろうと彼女たちが思っているところに、シャワーのところに忍び込んでいた主人公が急に飛び出してきて、裸の彼女たちを驚かす間に、別のメンバーが彼女たちの住む部屋にのぞき用の隠しカメラを設置してしまう。しかも、その映像を彼らは自分たちの宿舎のテレビで一晩中見る。

 しかも、最終的に主人公ルイスは、ジョックの彼女、そしてソロリティの一員であるチアリーダーのジュディと恋人になる訳だが、その理由がルイスが彼氏のフリをして暗闇の中で関係を持ったら、あまりにも上手かったので「寝取ること」に成功したという支離滅裂なものだ。  

  こういったモテないオタクの男たちと、ミソジニー女性嫌悪;好きの裏返しの結果として女性をリスペクトしないことも含む)は残念ながら相性がいい、ということは例えば全米で大人気のコメディドラマ"The Big Bang Theory"(ビッグバンセオリー ギークなボクらの恋愛法則)を見ても分かることだ。

 (ちなみに参考にしたのは

The Adorkable Misogyny of The Big Bang Theory - YouTubeという鋭い分析を行っているこの動画。大意だけまとめると、主人公のオタクたちはたしかにマッチョな男性ではないが、しかしそれゆえに彼らの持っている女性に対する価値観の危なさが見えづらくなっていると論者は述べている)

 この映画のタイトルは『ナーズの”復讐”』となっており、実際に復讐は果たされたのだが、その内容を考えてみれば末恐ろしい話なのはご理解頂けただろうか。

 

『ミッション:インポッシブル フォールアウト』という現象

トムが起きる!トムが打つ打つ撃つ!落ちる落ちる落ちる!
トイレで殴る蹴る殴られる!トムが走る走る走る!跳ぶ跳ぶ跳ぶ!走る走る走る!跳ぶ跳ぶ跳ぶ!また飛ぶ!上る上る上る!ヘリで飛ぶトム!トムトムトム!そして落ちる!トムトムトム!
 
 
 
 
 
 
大画面に映っていたトム・クルーズはイーサン・ハントでありながら、やはりトム・クルーズであった。ヒット・シリーズ、ミッション:インポッシブルというフィクションにおいて主人公イーサン・ハントは、乱暴に言えば向こう見ずで「どうかしている」男以外の何物でもない。替えの効かない仕事に憑りつかれ永遠に前進のみを続ける男だ。
 
しかし、トム・クルーズはそのフィクションと自分の生きる現実世界との壁を打ち破った。あくまでも映画は映画だと割り切った上でCGやスタントに全てを任せるようなことを彼は決して選ばない。明白なリスクから身を置くことで担保されていた、程よいフィクションとリアルとの距離は、この作品の場合もはやほぼないに等しい。
イーサン・ハントの無謀な挑戦は、トム・クルーズの無謀な挑戦なのだ。
 
 

『ウルトラセブン』「超兵器R1号」

 

 

町山智浩 on Twitter: "8月6日は『ウルトラセブン』の「超兵器R1号」も観て欲しい日です。宇宙軍拡競争を背景に、核実験で故郷を失ったギエロン星獣、それを倒さねばならないセブン……。お花畑での痛々しくなおかつ美しく悲しい戦いは三隅研次監督『剣鬼』のクライマックスを思わせるシリーズ屈指の名場面です。… https://t.co/XrDPYoPL5h"

バンドCCRと映画とテイラー・スウィフト

 自分の特に好きなバンドにCreedence Clearwater Revival (CCR)というバンドがある。60年代後半から70年代前半にかけて、ものすごいペースでアルバムをリリースし、次から次へとヒット曲を連発し、そしてあっという間に解散していったバンドだ。彼らの特色は、アメリカ南部的なカントリーやブルースを取り込んだ泥臭いサウンドだったのだが、実は彼らはカリフォルニア出身のバンド。南でなく西だったのだ。南部アクセントで歌っていたメインボーカルも、憧れゆえに真似ただけのことらしい。そんな衝撃の事実を最近まで知らなかった。

 ここ一、二年で観た映画によくCCRの音楽が使われている気がする。この間見た『ジュラシック・ワールド 炎の王国』でもCCRの"Don't Look Now"という曲が、バーでの場面で流れていた(らしい)。

 


Creedence Clearwater Revival: Don't Look Now

 傑作怪獣映画『キングコング:髑髏島の巨神』でもCCRの"Run through the Jungle"(ジャングル探検の映画なのでそのまんま)がかかっていたし、チンピラ同士がただ倉庫で撃ち合いまくる、というシンプルな設定の快作『フリー・ファイアー』でも同曲が使われていた。どちらも70年代設定の作品なので、(ほぼ)同時代の音楽を使うのは自然なことなのだろう。


Creedence Clearwater Revival: Run Through The Jungle

 こうやってアメリカ内でも模倣された別のアメリカ性(西海岸→南部)が時代を超えて、2010年代後半の映画に使われ、70年代当時のイメージが再生産されていく。それがいいことなのか悪いことなのかは別として。

 で、何でこの投稿のタイトルにテイラー・スウィフトと書いているのかというと、彼女も元からカントリー音楽の聖地と言えるテネシー州ナッシュビルの出身だった訳ではなかったから。生まれも育ちもペンシルベニア州ニューヨーク州と隣接している)だった彼女はカントリー・ミュージックへの憧れから、ナッシュビルに引っ越したらしい。”Welcome to New York!"なんて2014年に歌っていたことにーつまり本人は生粋のニューヨーカーではないのにもかかわらず、いつのまにかニューカマーを迎え入れる側についていたこと、まあ例えば東京においても似たようなことはあると思いますがー違和感がすごくあったのだが、よくよく考えてみれば、生まれ故郷にむしろ少し近づいていたのだった。

 一応補足しておくと、彼女の音楽スタイルは当初はごりごりのカントリーで、徐々にロック、ポップ化して今に至る。若くしてカントリー・シンガーとして有名になった彼女だからこそ、ここまでの変遷がファンにとって興味深く映っていたのだろう、と邪推してしまう。

 『アトミック・ブロンド』で緊張感ある分断されたベルリンの街と80年代のポップ・ヒッツという組み合わせがあったが、分断されたトランプ政権のアメリカを描く映画を作る上で、テイラー・スウィフトの音楽はどんな役割を果たすのだろうか。

 

ペンタゴン・ペーパー スパイスリラー✖女性のエンパワーメント映画

ペンタゴン・ペーパーズ』、前評判に負けぬ面白さの映画だ。上半期見た映画を振り返ってみると、この映画の残した印象はとりわけ強いことに気づく。

 というのも、言論の自由とは?真実とは?という問題を新聞社の人間たちが追求する映画だと思ってみていたら、スパイスリラー的な要素満載でなおかつ女性のエンパワーメントを巡る映画だったから。

 前者に関して言えば、冒頭からベトナム戦争のハードな描写が登場する。その直後にアメリカの記者がアメリカ政府の機密文書のコピーを密かに大量に取る場面があるが、この展開がまさしく冷戦期のアメリカのひりひりした状態を如実に語っている。

 さらにこの映画は、半世紀前のアメリカ社会、すなわち新聞社がほとんど男性で構成されている環境で、トップの女性ケイ・グラハム(メリル・ストリープ)がどういった判断を下すのか、という一点に物語が収斂していく。

 この点に関しては、新聞社の重役会議あるいは銀行との会議でドアを開けるとそこには高級スーツを身にまとった”おじさん”しかいない、というシーンが数回登場することに象徴されている。これは『羊たちの沈黙』で、FBI捜査官の主人公クラリスが他の女性がほとんどいない職場環境で、上司にいきなりセクハラ発言をされたり、女性だからという理由でどこか下に見られたりしながら仕事をしないといけない状況に似ている。

 現在の日本の報道機関とこの映画で描かれるアメリカの新聞社を評論の中で比較している印象がしているが、一人の女性が自らの信念を見出しそれに従うというストーリーも今日的意味を十分に持っていることを忘れてはならないだろう。

 

 

プーチンが観た『博士の異常な愛情』

 オリバー・ストーン監督と言えば、『プラトーン』(1986年)を筆頭に社会派映画を次々と作り出す名監督で、筆者も好きな映画は何本もある。ただ、最近彼がプーチン大統領に取材した映像がドキュメンタリーになったことに対して、懸念の声が聞かれるようになった。端的に言えば、現在のアメリカに対して批判的な態度(それはもちろんオバマのときもそうだった)を変えないストーンがとうとう親ロシアのプロパガンダ映像を作ってしまった、というものだ。

 当初そういった反応を見て、「余計にこれは見てみないと」と思い実際全編観てみたが、そんな単純な話なのだろうかとも思えた。というのも、一応オリバー・ストーンプーチンに厳しい質問を投げかけるものの、それに答えるプーチン本人が手強手ごわすぎた、というのがこちらの印象だったからだ。彼は毅然としてロシア側の答えを返す。時にはうまく論点をずらしながら、こちらのペースに引き込んでいく。最終的にはプーチンが西洋諸国に対して主張したいことが凝縮された映像が撮れてしまった訳だ。編集したのはストーン本人であるにもかかわらず、こんなドキュメンタリー作品が出来てしまったこと自体にプーチンの恐ろしさを垣間見ることが出来る。

 そんなドキュメンタリーの中でも、一番びっくりしたのが、ストーンが冷戦の話をしているときに、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』をプーチンが観たことがないと知り、本人にその映画を見せる場面だ。

 米ソ両側を戯画的に描き、最終的には両国の愚かさゆえに世界が滅亡してしまうというどぎついブラック・コメディを監督とプーチンは一緒に観る。

www.youtube.com

 観る側としては妙なサスペンスを感じてしまったのだが、プーチンは鑑賞後、

「我々に考えさせる部分がこの映画にはあった」「今の状況とほとんど変わっていない、ただ現代の兵器のシステムはもっと複雑になっている」(大意)と言った感想を残していた。

 これだけ聞くと凡庸な映画評論だと思ってしまうが上のような言葉を発しているのが理論上「作り話」を「現実」に変えてしまう力を持っている男だと考えると、その一語一句の重みを感じざるを得ない。

 しかも最後、ストーン監督は観たDVDをそのまま大統領に渡している。最後まで恐ろしい。

ようやくソフト化されたThe Spectacular Now

 このブログでもよく取り上げるエドガー・ライト監督(『ベイビー・ドライバー』『ショーン・オブ・ザ・デッド』)が2013年のトップ10映画に挙げていた映画の内、全然日本にやって来ない映画があった。存在を忘れかけていたのだが、今になってソフト化されていたのが、"The Spectacular Now"という青春映画(監督のリストの第7位にランクインしている)。

www.youtube.com

 『ワールド・エンド』が公開された年にこの映画が公開されていたのだが、『セッション』で一躍有名になったマイルズ・テラー演じる主人公が大人になったら、サイモン・ペグ演じる『ワールズ・エンド』の主人公になっていたかもしれない、とまでエドガー・ライトが言っていたのが面白い。どっちもダメ男なのね。

 ちなみに同年に公開されたのが"Short Term 12"だった(第6位)。ブログの投稿も4年前。

 

ykondo57.hatenablog.com

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