(新)アメリカンに映画を観る!)の第一回で触れた、『マッドマックス:怒りのデス・ロード』についての記事に残しておこうと思っていたが、随分経ってしまっている。今度新たなエピソードをアップすると、直近の15回までしか反映されないRSSなので、ブログの方にしか残らないことになってしまう。という訳で、軽くポッドキャストで話した論点をまとめておきたい。
個人的に当作で注目したのは、もちろんフェミニズム的から論じることもそうだが、「赤と青」だった。目を見張るようなアクションシーンの数々で見かけるこの真っ赤な炎が印象的だった人も少なくないかもしれない。
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このかなり赤い炎と絡めて言及しておきたいのが、Capable ケーパブルの真っ赤な髪だ。
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どっちもこれでもかと言うほど赤い。それがどうしたと思われるだろうが、ポッドキャストで話した内容に戻ると、これはイモータン・ジョーの教義と関係してくると言える。つまり、"I live, I die, I live again" 生きて死にまた生き返ると豪語する、瀕死のウォーボーイ、ナックスが言うように、「現世がたとえ辛くとも、立派なウォーボーイとしてイモータン・ジョーに仕えることで来世では報われる」というイモータン・ジョーなりのカルト的な教義(このテーゼ自体は宗教そのものに通底するものではあるが、何故イモータン・ジョーなのかという質問には答えられない)をそのまま受け入れてしまっている。
このドグマと赤色を繋ぐものとは、すなわち不死鳥のイメージ(=再び息吹を取り戻す生のイメージ)なのである。死を確信した不死鳥こと火の鳥は、炎に焼かれることでまた新たな生を得る。そして、ナックスは壮絶な戦いの中で、逆説的に自分が生きていることを身でもって体験する。
それと対照的なのは、夜になった際、スクリーンを覆う青色だ。これはまさしく、死のイメージであって、何も育たない不毛の土地にマックスたちはたどり着く。敵たちも、まあなかなか陰惨なことになる。ちなみに、盲目になり、目かくしをして銃を乱射していた彼
http://madmaxmovies.com/forum/download/file.php?id=3381
が叫んでいたセリフは「俺は正義の天秤だ!」と言っていて、要は自分は正義の女神なんだと言っている(正義の女神は、公平性を保つという意味で目隠しをしている)。かなり皮肉なのは言わずもがなである。
さて、本題に戻るが、そういった青=死のイメージと対置させると、先ほども述べたが赤はまさしく不死鳥のイメージ、さらに言うならば敗者復活戦のイメージすら思わせる。ナックスの語源はNux, Nothingであって、彼は取るにたらない、無の存在であって、イモータン・ジョーにとってはただの捨て駒だ。しかし、あれだけいる女性集団の中から一人、彼を一人の人間として接しようとする女性がいた。ケーパブル(有能)である。
何やかんやで、ナックスがイモータン・ジョーの教義から脱却し、彼に反逆しようとするのは、まさしく彼なりの恋を見つけたからだろうとは思うのだが、理由はともかく、真っ赤な髪のケーパブルと出会うことで、敗者復活戦の機会を得る。
最後に補足しておくと、マックスがフュリオーサに輸血するシーンがあるが、あれもまさしく深紅の生命を彼女に注入することであって、それゆえ不死鳥のごとく彼女は息を吹き返すと解釈できるのではないか。色に着目してもまあ言えることは多少はあったな、という話です。