[PR]カウンター

アメリカンに映画を観る!--- 洋画見聞録

主にアメリカ映画・文化について書きます。たまに関係なさそうな話題も。

ポッドキャスト ライブ配信します ”アメリカ映画と社会の今”

 3月分の配信が滞っていたので、今月はその分も兼ねてライブ配信をしたいと思います。

 今回は、『ヘイトフル・エイト』や『バットマンvsスーパーマン』などの作品から、アメリカ大統領選、BABYMETALの全米上陸の件に関してなど、アメリカ絡みの様々なことに関して考えていこうと思います。配信は4月16日(土)の5時半~7時を予定しています。

 質問、要望ございましたら、americannieiga@gmail.com、あるいはtwitterの@ykondo457(「アメリカンに映画を観る!」アカウント)までにお寄せ下さい、よろしくお願いします。

 なお、ライブ配信の音声は編集した上で、ポッドキャストとして後日アップロードします。

ロバート・デニーロの決断とアメリカの流言の闇の深さ

 朝、オピニオンサイトWebronzaを見ていると、こんな記事があった。

 

webronza.asahi.com

 2001年の米同時多発テロ後のニューヨークの再活性化を目指して始まったトライベッカ映画祭に、創設者の一人であるロバート・デニーロ氏が「反ワクチン映画」の上映を企画したが、翻意した。MMRワクチンが自閉症を引き起こすという主張をし、研究不正が明らかになって英国での医師免許を剝奪(はくだつ)されたアンドリュー・ウェイクフィールド博士が作った映画だ。デニーロ氏は先週金曜に「私には自閉症の子どもがおり、この問題について話す機会を提供したいと思った」とコメントを発表。しかし、翌日、上映取りやめを表明した。上映予定が明らかになった月曜から1週間たたないうちに方針撤回となった。(リンク先より)

 日本だと、ワクチンを打つと自閉症になるという副作用なるものを心から信じている人は少ないだろうと思うが、この”ワクチンパニック”は近年アメリカで流布した言説の一つで、ジム・キャリーも真面目に関わっていたこともあって、問題になっていた。ただ、リンク先の記事にあるように、そもそも根拠となる論文がデータを恣意的に変更してウソをまぎれこませていたもので、もはや科学界でこのワクチンの”副作用”はデマにしか過ぎないことは明らかになっている。

 アメリカでは、地球温暖化(global warming)(ただ、気候変動(climate change)の方が適切な表現)をデマだと信じ込んでいる人は未だにいるし、9.11はアメリカの自作自演だという陰謀論を支持する人もいる。ネットにより(私のような素人の言説がばらまかれたり)、きちんとチェックされぬまま出回ってしまう情報が絶えない中、アメリカでは、日本人が信じられないようなデマがまことしやかに語られているという、四月バカみたいだけど、本当の話でした。

 (こんな書き方をすると、日本は例外だと筆者自身が信じ込んでいるような印象を抱かれるかもしれないが、最近だと、STAP細胞が海外の実験によりその存在を確認されたとかいう流言をネットで見た。それに関しては、この記事が詳しく検証している。

STAP細胞をめぐる「流言」を検討する / 粥川準二 / ライター・編集者・翻訳者 | SYNODOS -シノドス-)

 

 

 

アメリカ大統領選というスペクタクル(3)いつになれば予想は当たるのか!?

 今回紹介したいのは、大統領選予想についてのポッドキャスト・動画だ。3月9日の現時点では、共和党からはまたもやトランプ氏が北部のミシガン州、南部のミシシッピ州などの州で圧勝しており、後続勢が彼の勢いをもはや止められるのかかなり不安が募るような状況になっている。しかし、実はこの展開を大手メディアは予測出来ていなかった。

 全米メディアについて毎週示唆に富む分析をしているOn the Media というポッドキャストがあるのだが、単に一週間で何が報じられたのかをまとめてくれるだけではなく、メディアはどこに着目し、如何に報道したのかという点を、メタ的に深く掘り下げていいる。

 

www.onthemedia.org

 そして、今回このポッドキャストが取り上げていたのが、予備選予想だった。

メインパーソナリティ本人が自認している通り、暴言連発のトランプ氏がここまでくると大真面目に考えていた報道はほとんどなかった。むしろ、現在3番手(だが彼が大逆転する可能性はもうあまりない)のマルコ・ルビオ氏を推す動きが大きかった。だが、実際箱を開けてみれば、予想なんてあてに出来るものではなかったことが判明した。

もっとユーモラスにこの問題を扱ったのが、本ブログで幾度となく紹介しているアメリカのコメディーサイトCrackedの動画だ。

 

www.youtube.com

このコメディー集団も、去年のポッドキャストでは、トランプ氏が共和党候補になることは「1000%ない」と豪語していた(上の動画だと右に座っている男性)。今のところそれは見事に外れている訳だが、On the Mediaでも指摘していたように、大統領選予想を的中させるには、サンプル数が足りないのは事実だろう。そもそも、4年に1度しか採れないデータである上に、インターネットという絶大な影響力を誇る要素がある以上、本当に前例はオバマ政権の8年間くらいしかない。

 といったような一連の弁明をした後で、1000%ないと発言していた当人は、予想のアップデートを行う。最終的には、民主党からはヒラリー・クリントン共和党からはマルコ・ルビオが選出され、ルビオが勝つと予想しているが、これは当たるのか?

 

 

アメリカ大統領選というスペクタクル(2)スーパーチューズデーで何が起こったのか?

 今回紹介したいのは、評論家荻上チキの看板ラジオ番組Session-22からのスーパーチューズデー特集回だ。

 

www.tbsradio.jp

 


米大統領選・序盤戦最大の山場「スーパーチューズデー」!

 

 この番組は、時折リアルタイムでストリーミング再生して聞くこともあるが、主にポッドキャスト版を週に3,4本は聞くようにしている。ラジオ番組という特性を活かして、1時間程度の放送時間を割いて一つのトピックについてじっくり議論する。オープニングなど、一人語りの場ではしっかりと自らの意見を理路整然と発言する荻上チキ(そのようなトークポッドキャストで残っている際は特に重要な話なので個人的には最近注目している)だが、メインセッションの場では、相手の話を遮らない形でうまく議論を進めるラジオパーソナリティーとしての役割をそつなくこなしている。

 上のリンクの回は、3月1日火曜日のスーパーチューズデー特集で、総合的には共和党ドナルド・トランプ民主党ヒラリー・クリントンの勝利に終わった訳だが、そもそもスーパーチューズデーとは?というところから、トランプ氏が実際に共和党の候補になってしまった際に党内での別案まで、かなりつぶさに現状分析をしており、示唆に富んでいる。

 とりあえず今の大統領選がどうなっているのか把握しておきたい人にはオススメです。

アメリカ大統領選というスペクタクル (1)

  一応このブログはアメリカ映画を主に取り扱っているが、アメリカ大統領選(の候補者選び)がヒートアップしていく中、まあ避けては通れない道ではあるだろうなと思い、今の大統領選について色々思うことを書き留めておきたい。

 多くの指摘が既にあるかと思うのだが、アメリカの大統領選は国民が自らの手で自国のトップを選ぶということでかなりのお祭り的な騒ぎになる一大イベントだが、このような見世物(スペクタクル)性は日本の選挙にはないため、あまりピンのこないところもあるかもしれない。ただ、これは単に「政治」の枠組みで語るようなものではなく、良くも悪くも、一種のショー、エンターテインメントの要素を常に孕んでいるものだと考えるなら、アメリカの大統領選も、アメリカ映画とある種繋がることは完全な放言にはならないと思う。

 ここで興味深かった記事をいくつか数回に分けて紹介していきたいのだが、まずはこれから。

 

www.youtube.com

 これは"Last Week Tonight with John Oliver"という、イギリスのコメディアン、ジョン・オリバーが、アメリカの時事ネタについて面白おかしく語るという風刺番組だ。YouTubeで全編が見られるので、私自身も気になるエピソードは見ている。

 放言、暴言の尽きない共和党候補のドナルド・トランプ氏について、ジョン・オリバーは当初取り上げたくなかったらしいが、現段階で彼の止まらぬ進撃ぶりを見てついに彼も20分かけてじっくり彼の言動を検証することとなった。

 もちろん、トランプという存在はあまりにも「おいしい」ネタ(政治をあつかったブラック・コメディで出てきそうな存在がそのまま具現化したかのようだ)なのでこれまででも風刺の対象となってきたが、今回はきちんと彼の言説のどこがどうおかしいのか真面目(かつユーモラスに)に一つ一つ検証している。

 億万長者として知られるトランプ氏は、無意味なビジネスに手を出して、実際破産して多額の借金を抱えていた(今どれだけあるのかは定かではない)ことは娘の証言でも明らかになっているし(つまりビジネスマンとして失格)、過去のツイートとは全く正反対のことを言っているし、訴えてやるぞと多方面で脅す割には何もしないし、トランプ支持者が如何に彼の大胆な発言だけを頼りにして、事実を把握していないかがよく分かるプレゼンになっている。

 ただそれだけではコメディにはならないので、最後に切り出された衝撃の事実は、コメディアン、ジョン・スチュワートの本名が、ジョナサン・リーボウィッツだということを過去のツイートで非難していたにも関わらず、自分の先祖の苗字はトランプ(Trump)ではなく、ドランフ(Drumph)だったということだ。という訳でツイッター上で流行り始めたのが、#maketrumpdrumpthagain (また「トランプ」を「ドランフ」に戻そう) というツイート。これはトランプの今のスローガンである、Make America Great Again (またアメリカを偉大な国にしよう)から来ている。

 分かりやすく解説するのももちろん大切だとは思うが、やはりユーモアの重要性は忘れてはいけないと思った次第です。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーの「たられば」を考える

 BSプレミアムで今日21:00-23:00の時間帯で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の再放送をやっていたので、何回目かもう覚えてはいないが、つい最後まで見てしまった。

 SFアドベンチャーとして紹介されていた映画(しかもスティーブン・スピルバーグ製作総指揮とクレジットされても、監督のロバート・ゼメキスの名前は紹介文に出したところで知名度に欠けるためか、書かれていなかった。最新作『ザ・ウォーク』が公開中なのは関係なかったのだろうか)だが、この映画はやはり笑える映画であり、名コメディ映画として観るのは全くをもって間違っていないと提言したいところだ。個人的に、映画は、笑えるところはすかさず拾っていく方が楽しいと思う。

 さて、今回何気なく観ていて一番思ったのが、そもそもこの映画は続編を想定していなかったところだ。本作は、ドク・ブラウンが未来から舞い戻り、マーティと彼女のジェニファーに、「未来に戻らなければならない(back to the future)、君たちの子供も大変なことになっている」との旨を伝え、今度は空飛ぶデロリアンで2015年へと旅立つシーンで幕を閉じる。

 しかし、この続きを想定していなかったのならば、タイムトラベル物の3部作として名高い本作が強調するのは、両親の口からは絶対聞き出せなかったであろう彼らのヒストリーを暴いていく物語であり、”奇妙な”(コメディタッチで仕上げないとなかなか大変な話になる)青春ものでもあるという点だ。公民権運動も、スケートボードも、黒人と白人音楽が融合して誕生したロックンロールも、ティーンの白人が生み出したものであるという、歴史改変的な要素を指摘する評論家は少なくないが、よく考えてみれば、1985年に生きるマーティの両親の語る過去はウソばかりで、このことこそ本作の描く1955年が映画の描きたいフィフティーズであったことを皮肉にも物語っている、というのは言い過ぎだろうか。

 また、2作目も3作目も作られて本当に良かったと思う次第なのだが、それでも1作で完結していたと考えるとなると、未来は本当に「未だ来る」存在で、マーティとジェニファーの子供(冷静に考えてみると、もう結婚していて子供もいるという話にそこまで二人が何とも思っていない?もうちょっと喜ぶなりしてもいい気はするが)がトラブルメイカーになっているのか、分からないまま終わるはずだったのだ。それは、本作の描く、親子関係が逆転することで明らかになる父子、母子の類似点・相違点が、そのまま子供たちに引き継がれていくことすら暗示しているのかもしれない。続編が実際存在する以上、これらは妄想にしか過ぎないのだが、考えの枠組みを本作のみに限定してやると、かなりBTTFの世界はトリッキーな青春もの、両親の過去暴露ものとしてまた違う見方が出来るのかもしれない。

スピルバーグの『激突!』の意味

 『ブリッジ・オブ・スパイ』が公開中だからなのか、気づいたらスピルバーグ出世作『激突!』を借りていたので、観てみた。

 ストーリーは至ってシンプルで、先を急ぐセールスマンが追い抜いたトレーラーに執拗に追いかけられ、命まで狙われるというものだ。

 ガレージの暗闇の中からバックで車道に出るシーンから、主人公デイビッド・マンの、夕日に映える横顔のシーンまで90分足らずである。

 

 既に指摘されていることではあるが、David Mannは、まさしく平均的男性、ないし人間の象徴であって、それが運転席がよく見えないトレーラーに追いかけまわさせる話なのだから、この映画における重要な構図は人間 対 機械 (man vs machine)だろう。

    カメラは終始デイビットの言動にフォーカスしていて、車の独立した意志は強調されない一方で、トレーラーの運転手の顔は全編を通じて一度も出てこない。スピルバーグ本人も、トレーラーの車種は、車が人間の顔に似ているかどうかで決めたらしく、ここに「自動車に乗る人間」と「人間を乗り回す自動車」という二項対立が明示されている。

 そして、その構図はクライマックスで顕著だろう。デイビッドは、自らの名前が刻んであるスーツケースをアクセルの上に置き、ギリギリのタイミングで車内から飛び出す。トレーラーと彼の乗用車が正面衝突する様は、まさしく人間対機械の一騎打ち、原題のduel,決闘なのである。

 なお、この決闘とはまさしく西部劇におけるそれである。ラストの勝負の場は、何も周りにないような乾ききった山で、互いの銃を引き抜いて早打ちするように、猛スピードで両者は”激突!”する。

 崖へと真っ逆さまに落ちていくトレーラーだが、その中には運転手の姿が見当たらない。となると、まさしく彼はトレーラーの一部、トレーラーの亡霊だったのだろう。そして、『フランケンシュタイン』よろしく、車というモンスターを作り上げた人間がどうにか、そのモンスターを退治したということになるのだ。